ジンセーは修行の場でーと、その人は言うんだが、どーも修行イコール苦行だと勘違いしているようなのだ。
修行に楽も苦も無いわけなのだが、この発想の根底には、苦しい思いをするご褒美に楽しいことが与えられるというトレードの考え方があるようだ。
「♪ジンセー楽ありゃ苦もあるさ 涙の後には虹もでる♪」
つまりは、この歌の影響なのか、自ら涙を流して虹を見ようという、そういう考え方なのだろう。
さらには、苦しい思いや楽しい思いは自分の外部からの影響により左右されるという考え、自分よりも上位の存在による自分のジンセーのコントロール、そんな複数の考え方に憑依されているように思える。
残念ながらジンセーはそんなにヌルいものではないと思うよ。
ハンドルから手を離した手放し運転では、車を走らせることなどできないし、いくらゴールである夢や目標を語ったところでたどりつけない。
そんなことを思っていたら、隣にいる人がこんなことを言った。
「じんせーは苦しい修行の場ではなくて学びの場ですよ」
あんたはマザーテレサかっ!そう口には出さずにツッコミをいれたのだが、ああ、なるほど上手いこと言うな。涙のあとには虹が出るってのはたしかに学びだ。
学びって自分の中で現象をどう捉えるかということだから、たしかに学びであるし、なんで学ぶ必要があるのかというと、生物学的には生存のためであるし、もう少し精神世界的に言うと俯瞰する視点をもつためでもある。
ちなみに「♪ジンセー楽ありゃ」は、トレードの歌ではなく旅の歌だ。
つまり、寄り添うことを歌っている。
♪人生楽ありゃ苦もあるさ
♪涙の後には虹も出る
♪歩いてゆくんだしっかりと
♪自分の道をふみしめて
♪人生一つの物なのさ
♪後には戻れぬものなのさ
♪明日の日の出をいつの日も
♪目指して行こう顔上げて
(2015/7/28)
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