(2013/6/13)
今日、部屋で一緒にあんぱんまんのDVDみた女の子のことを考えてた。
いつもは、ママが仕事してるときは、ばあちゃんが面倒みてくれてるのだが、ばあちゃんの都合かなにかで、たまにママのお仕事についてきてたらしい。
そんな時は、別の部屋でひとりで遊んでママが終わるのを待っている。
今日はDVD見てたが、プレーヤーの調子が良くなくて、時々止まっちゃてた。
プレーヤーを軽く叩くと動き出すんで、トントンやってた。ワシも一緒にトントンやった。
そういや、ワシもこの子と同じような頃、いやもう少し大きかったかな?大人の中で過ごすことが多かった。
親父が始めた事業の事務所の奥で住んでて、母親は皆のお茶を入れたり、事務仕事を手伝ったり、その合間に食事つくったり洗濯したり、会社の電話にでたりしてた。
昼飯は、家のほうのテーブルで母親の手料理を皆でわいわい食べてた。窓からはキドカラーの飛行船が飛んでた。
まだ立ち上げたばかりの会社で、スポンサー?の貸衣装屋の2階から3階を貸してもらってたらしい。
やがて倉庫付きの事務所を建てて、その屋上に家ができたんでそっちに引っ越したんでそんな長い時期だったのではない。
倉庫付きの事務所の屋上に、今から思うとずいぶん変なのだが、普通の平屋の家が2軒乗っかるように建ってた。そのうち一つがワシの家だった。
家と事務所が完全に分断されたんで、前のように仕事が家の中に混在することもなかったし、親父の同僚がウロウロしたりコーヒー飲んでたり、相撲みてたり、ビールのんでたり、遅くまで議論してたり、将棋を打ってたりということがなくなったけど、ワシはなんだがつまらなくなった。
その後もオヤジはシングルファーザーになり、なぜか男手ひとつなのにワシを引き取り、金持ちになったり、貧乏になったり、家がなかったり、ホテルに住んだりといろんなことがあって、ワシは親父とウロウロしたが、いつも大人の世界の片隅に自分の小さな場所を見つけて、そこでジッと邪魔をしないようにいた。
ワシの親父が「子ども連れだ」ということがハンデにならないように気をつかいながら、時には存在を消し、時には子供らしくふるまい、そこにいて、自分が成長する時間を待っていた。
今日の子どもの目が、その頃の自分を思い出させた。
だから、ワシは子どもの機嫌をとるような大人な話しかけ方は一切しなかった。極力、気をつかってないように装い、わかいおねーちゃんに話かけるように話した。
その子は、自分が見ていたDVDの画面をくるっと回転させてワシにも見えるようにしてくれた。
そのときのこの子は、自分を「母親についてきた子供」だとワシが思ってないのだと「理解した」、もしくはそう「理解したふり」をしたんだと思った。
子どもは自分の周りの環境を主体性を持って変えることが出来ない。どんな状況でもその環境で生きていくしかないことを大人以上に理解している。
だから、ケモノのように回りの状況を細かく分析し、その中で自分の居場所を確保する。
こういうとき、こどもは上手にこどものふりをするのだ。
「じゃいくわ」
バイバイと言わずにそういったら、その子は大きく頷いてバイバイと言った。