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西鶴アーカイブ

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ネガティブに憑依されるという都市伝説

 
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(2015/8/19)

あーうるせー。タリタリでコーシー飲んでいるんだが、隣のおっさんがなぜか、ため息ばかりついていて、口をシーハーシーハー、チッチッチッ とツバを啜ってる。

梅干しでも口に含んでるのか?桃の繊維が歯の隙間にはさがってるのか?それか歯医者いった帰りなのか?
とにかくうるせーし、気持ちわりー。

見たらそんなに年はワシと変わりなさそうだ。
ジジィになると身体能力が低下するんで周りに配慮できなくなる人は多い。
特に加古川あたりだと、ステテコだけで暮らせるので、たまにひとの多いとことに出てくるとこの傾向は顕著だが、そんなにモーロクしてるようには見えないし、一見どこかのエライさんに見える。

まぁ、身体能力の衰えまでいかなくても、半世紀生きてたらいろんなクセがつくというもの。
ワシも自分で気がつかないヘンなクセがあるかもしれん。

が、それでも寛容な気持ちにはなれん。
うるさいというより、気持ちわりー。これはもう理屈ではなく生理的なものだ。

ワシはコーシーがまだ残っているにもかかわらず、早々にタリタリを後にした。



とくに神経質な方ではない。犬と暮らしていたら神経質ではもたない。
けれど、生理的な嫌悪感は多いほうかもしれない。だから、なるべく遠ざけようと結構工夫している。

食事しているときにテレビを見ないとか・・・飯食ってるときの水虫やGのCMなんてテロだし、絶対にどの番組にもでてるお笑いタレントの顔がムリ!・・・、生理的にダメな人とは鍋とか焼肉行かないとか、裸足でペタペタあがりこむ奴はけっして上にあげないとか、相手にわからないように、ステルスモードで遠ざけている。

もちろん、これはあくまで「わたしの嫌悪感」であって相手が悪いわけでもテレビCMのスポンサーが悪いわけでも、タレントの顔が悪いわけでも、なんでもない。だから文句を言う筋合いではないから、黙ってタリタリを後にしたり、ステルスモードで工夫するわけ。



ところが最近はこういった「わたしの嫌悪感」を前面に押し出してる人が多い。

たとえば、ある人と雑談してたら「メディアはヘイトスピーチのニュースや、殺人事件などのニュース、いじめのニュースなどは流すなよ」と言ってて、まあ水虫CMがいやなワシはテケトーに同意したんだが、その人があまりにもひつこく言うので「テレビとか見なきゃええやん」と言った。

どーも、その人は同意を求めているのではなく、いかに「自分が被害者なのか」を力説したかったようなのだった。

この前は、誰か忘れたが、フェイスブックでアベソーリ批判やら、政治批判やら、とにかく怒ってばかりの人の投稿のあり方を散々批判し、「そーゆー人とは友達解除するか、ブロックしたほうがいいよね」的なことを言っていた。

ツィッターならともかくなんでこの人は「わたしの嫌悪感」をもたらす人とはお友達になっているんだろうと疑問に思ったのだが、話をしているとさらに不思議なことに嫌悪感を感じながらも結構ちゃんと読んでいるようなのだ。
水虫のCMはいきなり始まるが、フェイスブックならはじめの数行で解りそうなものなのに。



思うにこういった人たちは、「わたしの嫌悪感」をわたしでどうにかするんじゃなくて、それは社会悪であると思っているのかも知れない。「わたしの選ぶ権利」を放棄し、社会的弱者であるわたしを救済せよ」とそう言っているんじゃないか?
どーも、考えれば考えるほど、そんな気がしてきた。

被害者は、あらゆる責任から逃げることができる。ワシはなんでもかんでも自己責任という風潮は大嫌いだし、それでは社会の意味がねーと思うが、責任を放棄した被害者はフリーライダーで、いわば社会に「タダ乗り」していると考える。



「わたしの嫌悪感」はあくまで私的なものだ。
世の中には、わたしに都合のいいことばかりではない。そんなことは誰でも知っていそうなことだが、それをなんとかしようとその場から離れる、関わらない、そんな工夫でお花畑の中で楽しく暮らすのも構わない。最近は、そういった人も多いから皆でいっしょにクラスタをつくるのも構わない。

けれど、社会にそれを求めるのはちとヤバイ。わたしに都合のいいニュースだけを流せなんていうのは、まるで戦時中の放送みたいだ。



特に最近気になるのは、ネガティブな情報をシャットアウトしているのに、「社会を幸せのオーラで満たす」と言ってる人たち。

いまの現状の問題を把握せずに、社会を幸せにするって、言葉は耳障りがいいけれどわたしの感性が正義だといってるのと同じで、その正義と正義の戦いはなんども歴史が繰り返してきている。

これは、いつも言ってるが、コインの裏表と同じで、どちらかを正義とすることで悪が発生しているのだ。

わたしの嫌悪感はわたしが遠ざける。パブリックなことは、ちゃんと向き合うなり、寄り添うなりする。

このスタンスがないとヤベーですよ。



あと、余談だがネガティブな情報に触れるとよからぬことが身に降りかかると思ってる人。
これはワシの言うところの「憑依」だが、言葉や環境に影響を受けるなら、影響を受けないようにしたらいい。でないと、家の布団にくるまって一歩もでれなくなるか、針の穴のようなメガネでフィルターかけるかしか方法がなくなる。

影響を受けないためにどうするかを考えたほうが自由度は高くなる。

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