turuya

西鶴アーカイブ

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アドリブ劇2

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(2016/3/14)

あドリ部の劇を見た後、駅前にでけた海鮮なんちゃらっていう店で飯をくった。
店はわりかし混んでたようで、オーダー間違えたりしたんだが、一緒にいったやつが、それこそアドリブで対応する。

「あ、おねいさん、ビールの後にハイボール頼もうとおもってたのに一緒にもってきちゃったのね」(いや、そんなこと言ってなかったか?)とか、両替たのむときに「え?1枚わたしたら10枚になってかえってきたー」とか。(ちょっとちがうような気がする)

まあ、ようするにワシが言いたいことは、オーダー間違えたときに、オラオラろ怒るよりも、笑いにしちゃうアドリブ力があれば、店もワシらもハッピーハッピーつーことだ。

結構ワシも店の人にボケとツッコミをするほうで、最近はあんまりそういうことしたらオサーン臭いかなと控えめにしてるんだが、それでも「ここ!」という時にはツッコミを我慢できない。

最近はどこの店でもマニュアル対応が多いがその牙城をいかに崩すかというのが密かな楽しみだったりもする。もちろんワシの場合、おねちゃんかイケメンに限る。


前に西明石の某店で宴会をしたときは、そこの店の対応があまりにもずぶずぶだったんだが、そのずぶずぶさをワシがネタにしはじめたら、怒りは笑いに変化する。そしたら、そのずぶずぶさが逆に楽しいのだ。

ヘンな話だが、そんなツッコミは金出してもなかなか買えない。

また、姫路にすげーまずいラーメン屋があって、ここはマズイというより臭いのだが
店主は延々と自分の店のスープ自慢をするという。ここも金払って体験したいまずさということで、皆でワイワイ行ってた。ほとんど肝試しみたいな感じ。

話がちょっとずれたが、日常の生活でもこのアドリブ力というのは結構発揮することでハッピーになれる。

が、これはライフハックでもポジティブでいこうといってるわけでもない。

感想のその1でも書いたが、これは「A LIVE」なんだと思う。

って書いてたら、さっき仕事の電話があったんだが、この担当者は声がすごーく声がどよよーんとしている。本人は気が付いていないんだろうが、相手のテンションを下げる声だ。

部署としては営業らしいが、たいじぶなんだろうか?人って、とても不条理なことで行動の決定をしているが、この声では決まる契約も決まらないんじゃないかと思う。

これも、よーするに「見られる」ということが「見せる」という意識とつながることで解決できる話だ。「認められたい」からはこの意識は産まれない。「認めさせよう」からでもこの意識は産まれない。

これが「間」だと思う。そしてこの間に在るのが「自分」というものの正体だ。