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西鶴アーカイブ

いろんなところに書いてきた文章のアーカイブ

A Live・・・ 二度と取り戻せない刹那の時

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(2015/6/15)
 
対話形式での授業をソクラテスメソッドって言うらしい。
なんかの本、たぶん平田オリザあたりだと思うんだが、この辺は記憶がアイマイ。
 
ワシがピンときたのは、ネーミングがカッケーということと、対話形式というところだ。
仕事でデザインをテーマに喋くりしたことがあるが、どこか違和感を感じていた。
 
喋くり仕事は、ワシの暗黙知を言葉に置き換えて喋るわけだが、皆さん黙って聞いておられるわけで、だもんだから、なんか笑かせたくなる。
 
あんまり笑いに走ってもアレなんだが、なぜか伝えることよりも反応を引き出すことに重点を置いてしまう。
 
まあそーゆー性格なんだろぐらいにー思っていたのだが、ソクラテスメソッド、対話形式というやつを知って腑に落ちた。
 
一方的にドヤ顔で喋っても面白くないのだ。アウトプットは対話の中でどんどん進化してゆく。チャットやメーリングなどもそうで、議論の中で新たな発見があったりする。その広がり、ダイナミックさ、ライブ感を体感したら、ひとり喋りではどうもものたりない。
 
だから反応を引き出そうとしていた。たとえ笑いでもだ。
 
で、ソクラテスメソッドをもっと調べてみようと、アマゾンで買ったのが「サンデル教授の対話術」という本。あの白熱教室のサンデル教授へのインタヴューと、その講義の方法の分析の2部構成になっている。
 
そうか!サンデル教授のあのやり方がソクラテスメソッドなのかと思ったら、ちと早とちりだった。サンデル教授はソクラテスメソッドは問題が多いと言っている。
 
どうやらソクラテスは、対話というよりは道場破り的に街角でやりあってたというのが正しいらしい。「彼はアテナイの多くの人をいらつかせ怒らせてしまった」らしい。そのため、裁判にかけられ命を落としている。のちに弟子のアリストテレスが「対話編」としてまとめた本を出してるのだが、そのへんがごっちゃになってるのだろう。
 
とにかく!この対話式というものを念頭に置いて、なんかできないものかと思っている。質疑応答だけでやるとか、問題を共有してその解決法を参加者全員で組み立てていくとか、いろんな方法が考えられる。
 
とはいえ、これは細心の注意が必要でもある。
 
とくに最近は(なぜかSNSが一般的になった頃から)、その同じ考えの人同士が群れる傾向が強い。
少しでも意見が違えば弾かれるということも多い。つまり、イイネする奴しか受け入れないというはヒエラルキーな構造の組織だ。組織構造的には、古い体質のようではあるが、なぜか若い人たちの集まりのほうがこの手の構造が多い。
 
よくは知らないがスクールカーストつーの?そういうのも同じ構造じゃないのかな?
 
気に入らないならでていけ!っていう組織が多い。これなんかも、最近はウマイ言い方があって、「ネガティブな思考はいらん」とか、「価値観が違う」とか、「ドリームキラー」とか、そんな言い方になってる。なるほどねー。
 
これもワシのよく言う「自分の物語に相手を引き入れる」というやつで、そこには新しい世界は姿を現さない。これはテンプレートで、ライブじゃねーよなーと思うわけ。
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