(2018/3/30)
今でもそうだが、この手の漫画であろうと、どうやって生活してるんだという疑問は常にワシは疑問に持つ。
ウルトラマンの警備隊は、給料でてるに違いない。怪獣倒したらボーナス支給だろ。
仮面ライダー本郷たけしは、もともと金持ちのおぼっちゃんだし。
サイボーグ009は、ギルモア財団の職員だろ。ギルモア博士は、いろんな特許も持ってるに違いないし。
そんな風にいつも考えていた。
ハーロック達がどうやってあんな巨大戦艦を維持できているのかはよくわからなかったが、あの戦艦の後ろを常に追従している岩盤があって、それは実は戦艦の修理やらに使える基地だという設定があるのを知った。
たぶん基地にはあるていどの自給自足ができる食料工場とかの設備もあるんだろうが、ますます彼らの経済構造が謎に思えた。
と、同時にそんな基地があっていろんな生きていくためのモノをストックできるのがすごく良いなと思った。
大人になってからワシは大きなカバンを持ち歩いているのでいつも「何が入ってるん?」と不思議がられた。
洗面用具、着替え、仕事の道具、デザインサンプルから色見本、紙の見本、サバイバルキット、カロリーメイト、裁縫用具にバンドエイド。
いついかなる時でも、このカバンがあればなんとか出来る。災害時でもオケ。そんなカバンだった。
今ではこの呪縛はとれて、手ぶらに限りなく近いんだが、それでもバイクはデュアルパーパスで、悪路走行もできるのが必須条件だし、スリッパひっかけてコンビニいくなんてことはできない。
これは子供の頃、ハーロックの基地に憧れた気持ちの延長にあるものだし、また漫画の主人公たちがどうやって生きていっているのかを知りたいという気持ちとも地続きのものだ。
リアリスト?いーや、漫画にリアルなんて求めていたらキリがない。
ワシは、そこに答えを探していたのだと思う。
どうやって日々の生活にべったり張り付いている不安から解放されるかの答えだ。
中学のときは、未成年だから働くこともできず、学校で貸本屋したり、買い物代行などをしていた。
先生たちも事情は知っているので見て見ぬふりをしてくれていた。
一人で生きていくときの不安。頼る人のいない不安。ヘルプミーのいうところがない不安。
住むところ、食い物、着る服、金。
とにかく人生はサバイバルだ。モノも金も使えば無くなる。ストックしていても不安だ。ハーロックの基地みたいに常に自分の近くに待機していてくれないものか。
そんな風に思っていたんだとおもう。
が、このストックにはキリがない。
金もモノも人も、ストックにはキリがないし、維持管理にはそれなりの労力や金がいる。
ストックは資産であるという人もいるが、産み出さないものは資産でも財産でもない。
先住民とかの長老が、獲物や草木の果物やそんなものは神さまから与えられているから、欲張って全部取ってはいけないと言ったのは、間違いではないのだ。
生命はすべてが「系」の中で生きていて、輪廻している。
だから、ぜんぶ取ってはいけない。
これはお金に関しても同じことがいえる。経済はそれで一つの「系」だからだ。
資本を系に接続して、そこから産み出されたものが資産。
お金のあるところにお金が集まるといのは、まさにこれで、経済学者のピケティは、ゆえに格差が開いていくと言っていて、格差をフラットにする働きとして戦争をあげている。(ウロ覚え)
が、資本というのはお金に限らない。身体とか時間とか知識とか、アイデアとか、デザインとか、さらに俯瞰で眺めてみれば「存在」するということも資本になる。
最近は不倫騒動以来すっかり大人しいのでネタに使えんのだが、あの乙武くんは、手足が「無い」という無いものすら資本にしている。
んが、そうはうまくいってないのは、このストックするという呪縛からヒトは逃れることができんからだ。
ワシは人の社会で「盗む」という行為が一番の罪悪だと考えている。
たとえば、デザインを盗むのも殺人も盗むという行為においては同罪だと思っている。痴漢も軽犯罪になるらしいが、盗むと言う行為では重さは同じだと考える。
なんでかってーと、この盗む行為からストックするという呪縛が産まれたからだ。
つか、タリタリ現象きたあああああ
※タリタリ現象・・・なぜかワシはタリーズで茶をしないていると大をもよおす。