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西鶴アーカイブ

いろんなところに書いてきた文章のアーカイブ

考え事は本屋でしたらいいと思うにょ~引き寄せならぬ抜出の法則~


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(2016/1/7)
 
「横の学問」。この言葉を教えてくれたのは、兵庫大学の学長さん。
 
開学のときに取材でインタヴューしたとき、初めてこの言葉をしったのだった。
 
一つのカテゴリーについて掘り下げていくのが縦の学問であるなら、カテゴリーを越えて様々な知を横につなげて織り上げるのが横の学問。
 
学長は、そういった人材を作り上げていきたいと熱く語ったのだった。
 
ちょうどその頃、東大のサブテキストである「知の三部作」が発行された。「知の技法」「知のモラル」あと、なんだっけ?知の倫理かな?
 
この本を読んだあとだったんで学長のいうところにワシはすごーく興奮したことを覚えている。
 
 
詳しくは書けないが、昨日すげー面白いシンクロニシティがあった。ここんとこ考えていることが、横櫛でスコーンと刺さる感じ。
 
こーゆー偶然も「横の学問」だ。
 
何かテーマを考えているとき、そのテーマの解は向こうからやってくる。これは別にスピリチュアルなことでも何でもなくて、古くは心理学者の南博氏が著書の心理学入門で「ステップに足をかけたとたん」という言い方をしているもの。
 
なにか考えるテーマを持っていたら、飛行機に乗るステップに足をかけるという関係性のないときにでも、ひらめきがあるというようなことをかいてた。回りくどい言い方だが、たぶん元ネタは外国のことわざみたいなものかも知れない。
 
これを読んだのは中学生の時だったんだが、非常に腑に落ちて
いまだに覚えている。
 
余談だが、この本でワシは自律訓練方を学んだ。これがやがて禅の坊主と出会って座禅につながったんだと思うと人生オモロイ。
 
ステップ足をかけたとたん………
 
ようは無意識で探しているのだ。だから、ステップでなくても、道を歩いていても、テレビを見ていても、トイレにはいっていてもかまわない。
 
何でも関連付けしてしまう。見るもの聞くもの体験するもの。意識してないがずっと探している。まるで、山崎まさよしの歌みたいだ。そんな歌詞あったよな。
 
 
ワシの場合は、なんか考えてることのヒントが欲しいときは本屋をブラブラする。マンガコーナーも、子供の絵本コーナーも、料理本のコーナーも、隅からすみまでだ。
 
そうすると、目に留まるものがヒントになる。向こうから飛び込んでくるように目に留まる。
 
不思議なもので、これが図書館だとそうはならない。
 
なんでかってーと、図書館は本の表紙がほとんど見えない。見えるのは背表紙のみ。しかも帯とかは全て外されている。店内POPも、本を紹介するPOPもない。
 
たぶん、本屋の陳列は、文字だけでなく視覚情報としても機能するからなんだろうと思う。デザイン、色、文字、そこは情報の宝箱をひっくり返したような空間だ。
 
その中から、人間の脳や認知器官は瞬時に必要な情報を抜き出すのだからおそるべしだ。
 
こーゆーのを、引き寄せると言う人もいるが、ワシは「抜き出す」と言っている。なぜなら、それはずっとそこにあったからだ。
 
あったのに気がつかない。
 
これは青い鳥みたいなものだ。