(2018/2/21)
ワシがよく言うのに「問題は答えがでるまで引かせてくれる神様のガラガラポンだ」というのがある。
問題は、実はその時に降り注いでいる自分にとってのテーマで、その答えが見つかれば解決するんじゃなくて、消えてなくなる。
答えが見つからないと、何度も問題は起る。
時には同じ問題は姿形を変えて起る。
答えが出るまで引かせてくれるクジ引きみたいなもんだ。
さて、ここんとこワシは、クソ忙しい。
なんでかっていうと、いわゆるバカに振り回されているから。
最初は一人のバカが現れたつー感じで、ドラクエでいうとスライム1匹。簡単に薙ぎ払ったのだが、どうも答えは出てなかったようだ。
次々にバカが現れてくる。
これは堪らん、ということでテーマを見つけるべくワシは思考する。
まずは分析というわけで、じっくりと観察したらオモロイことが見えてきた。
まあ、あんま詳しく書くのもナニなんで見えてきたことだけを書く。
あるヒトは、仕事できないんだが、メールとか電話の対応がヘンなのだ。
ヘンというと横柄だとかそういう風に思えるだろうが、逆にむちゃくちゃ丁寧。普通使わないような言い回しをしてくる。
企業のサポートセンターでもこんな言い回ししないだろうというぐらいに丁寧。
が、仕事ができない。報告連絡相談の基本はおろか、時間の約束も守れない。言葉もよくわからないみたいで、マジでワシは日本人じゃないのかと疑ったぐらい。
何でだろう?と観察してみたら、このヒトはビジネス=丁寧な言葉を使うことだと思い込んでるらしい。
つまりね、「白衣を着てない時は医者ではない」みたいに、丁寧な言葉使ってることで自分に仮面を付けてるみたいなのだ。
ほら、よく企業のクレーム受ける電話担当の人いるやーん。そゆ人って、言葉づかいは丁寧だけど、なんかテンプレートで、原稿読んでるみたいだから、話は前に進まんから結局、こっちが折れるか、上司だせやっーってことになるやん。
「決定」というのが必要な現場でソレやっちゃってるのね。
どういう経歴があるのか、どういう環境で生きてきたのか知らんが、かなり頑強な殻に自分を入れちゃってる。
その人にとって仕事は常に自分を攻撃してくるもので、それをかわす技術が企業のクレーム担当の電話オペレーターのような丁寧語みたいなんだな。
たしかに、ツルツル滑って掴めないからな。これは皆諦めるわ。
素材を提供されて、この通りに作ってくれっていうんで、作ったのはいいが、なーんか嫌な感じがしたんで調べてみたら海外のショップのロゴとソックリだった。
いやいや、これアカンやん。
時々、個人のお店とかでネットで拾った写真を原稿につけてくるケースあるんで気をつけてるんだが、ここはそこそこの会社。いや、これ会社のコンプライアンス問題だ。ヘタしたら飛んじゃうって。
んで、そういうことを説明したんだが、イマイチよく解ってないようなのだ。
よく田舎の方にいくと「スナック ミッキー」とかの看板にミッキーマウスが堂々と使われていたりする。
中国のパチクリがよく問題になるけど、日本もちょっと前まではこんな感じだった。
だが、そのヒトはまだ若いし、都会の人だ。なぜだ?
で、ふとある記憶が湧き上がってきた。
手塚治の短編漫画の記憶。
タイトルも物語の展開も忘れたんだが、イントロダクションの部分だけ覚えている。
取材旅行である漁村を訪れたのは、作者である手塚自身。
手塚は、自分の漫画に自分自身をよく登場させているが、この漫画もそう。
手塚は、漁村で一晩民宿に泊まることになったんだが、どうもこの村の習わしで一晩のお相手を民宿の奥さんがしてくれるらしい。断ったんだが、これが習わしだと譲らない。
んで、布団にもぐりこむとこで、急に漁にでていた旦那を乗せた船団が返ってくる鐘がなり響いて、奥さんは手塚を置き去りにして喜んで旦那を迎えにいく。
そのあと、漁にでていた船団に異変があって、という話の展開だったと思うんだが、覚えていない。
なんか昔は、閉鎖された村ではこういった客人のもてなしは実際に世界中であったらしい。
つまり、遺伝子プールだ。
閉鎖された村では、近親による交配が進む傾向にどうしてもなるんで、てっとりばやく外からきた遺伝子をプールしておくという、そういう仕組みらしい。
文化っていうのは、親から子へと受け継がれる遺伝子のように次世代に影響を与える。これを文化的遺伝子「ミーム」って言う。
たとえば、言葉もそうだ。子供の頃から接しているから、文法なんてもんがわからなくてもワシらは日本語を、つーか、関西弁を喋ることができる。
それは頭で記憶しているというよりも、「身体に染み付いて」いる。
閉鎖された村での遺伝子プール戦略が、習わしとして引き継がれたきたように、パチクリも文化的遺伝子として染み付いているのだとしたら。
考えてみたら、新しいアイデアや技術は、常にパチクリされ、改良されてきた。特に閉鎖された空間や、人口が少ないところでは、それらのリソースは貴重だったはずだ。
そんな延長で、スナックミッキーは生まれたのかもしれない。
んで、そんな延長で価値をパチクリしても構わないという遺伝子が更新されずに残っているのかも知れない。
そういや、この手のヒトは閉鎖されたところにいる人が多いような気もする。
田舎であるとか、特定のコミュニティの輪の中だけで生きてる人とかだ。
会社も、実は大きくなればなるほど特定のコミュニティになっていく。1日、会社以外の人と会話せずとも生活ができるということも珍しくない。
(企業を相手にする時は、その企業のミームの見極めはかなり重要なことになる。いわゆるクセっていうやつ)
特定のコミュニティでは、内側と外側が重要になる。
普通は、外側から取り入れていかないとシステムは成り立たないが、有る程度の規模になると自給自足よろしく、そこそこ生きていけるようになる。
そこは競争はなくなる凪の世界だが、その分、進化や研究などはなくなる。進化や研究の父は困難であるからだ。
あと、いくつか分析した事例があるんだが、なかなか特定されないように書きにくいので省くが、どれも共通点としては「閉鎖空間」というのがあるように思える。
スマホとネットで世界は手のひらの上にあるにも関わらず、なぜか「世界に開かれた閉鎖空間」というのが出現してバカがそこに立て籠もる。
問いは出た。
では解は何か。
それは、争うことだ。
世界を広げるのは、争うことが必要不可欠だ。
だが、その結末が勝ち負けなら世界は広がらずに閉鎖空間のままだ。
争い、融合することで世界は広がる。