言葉もデザインも単なるパッケージでしかない
2018/6/11
全国レベルで動いている某社に作ってもらったパンフを見てその経営者はため息をつくのだ。
「オシャレだし、よくまとまっているけど、なーんか違う感じがする。それが何かよくわからないんだけど」
実際にそのパンレットを見せてもらったんだが、たしかに遜色のない出来だ。文字がやたら小さくてカラーだから、文字の網が見えるが、読めないこともない。
けれど、読もうという気になれない。そこに残る印象はただオサレやーんというそれだけだ。
つまり、これはテンプレートに収めてあるだけのもので、写真と文章を入れ替えれば、どこの企業のパンフレットにもなるというもの。
また、そのオブジェクトである写真や文章も、聞こえのいいどこにでも転がってる文章でいわばテンプレートなのだ。
最近はこういうのが多い。つか、ほとんどがこのテンプレートだと言ってもいい。
本屋に行けば同じ内容の本がズラリと並んでいるのと同じ。とくにビジネスやスピ系やらはこの傾向が強い。
つまり、「この通りにやればいいですよ」というノウハウをマニュアル化して売るという情報という商材。
この経営者はそこに違和感を抱いている。だから、どうしたもんかと色んなデザイン屋に相談して、結局ワシのとこに流れついたらしい。
けれど、残念ながらワシはそういったテンプレートな作為にはここんとこ懐疑的で、むしろそんなことはやりたくはないのだ。
だから、原稿も書かない。コピーもかかない。
頭にはキャッチなコピーも浮かんではいたが、言わないし提案しない。
それはワシが考えるその会社の未来であるし、ワシの考える戦略だからだ。
それではテンプレートビジネスとなんら変わりがない。
心がない言葉でも口にはできるし、書くことはできる。けれど、それは自分の言葉ではない。パンフではカッケーこと書いてても、現実と乖離していては、そもそもの意味がないのだ。
あくまでデザインは、整理されたアウトプットであって、デザイン屋が創作するものではない。
言葉やデザインが運ぶものは、言葉でもデザインでもなく、その会社が自ら発するメッセージという中身なのだ。
だから、今までは「ワシにまかせれ!」とか、「ワシが来たから大丈夫だ」と言っていたが、もうそーゆーのはウンザリだ。
そゆ案件は、ワシでなくてもランサーズあたりで頼めば、カッケーやつが安くでできるよ。
なので、とにかく箇条書きでもいいし、文章になってなくてもいいから、頭の中を全部書き出してみてくださいと言ってきた。