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西鶴アーカイブ

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人は1日2万語喋らんとアカンらしい。知らんけど。

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(2018/7/4)
この前、某所に校正原稿を持っていった時になんでか知らんが、「人間1日を2万語を喋らんとアカンらしいでぇー。知らんけど」(関西風)って話になった。
 
これは、西田さんの持論で、なんで2万語なのかも含めて情報ソースが謎なんだが、意外と説得力のある名言なのかもしれない。
 
その店のマダームも、ウンウンとうなづいて「私も人とたくさん喋った日は満足してぐっすり眠れる」みたいなことを言ってた。
 
乙武くんの記事(https://newspicks.com/news/3147787/)のコメントでも書いたが、人は、つーか生物は「存在をもって影響を与える」というのが本能に組み込まれていて、そこから最近流行りの承認欲求やら、社会的貢献やら、売名行為やら、族の爆音鳴らす迷惑行為やらが産まれてくる。
 
身体は、自分一人では生きていくことが出来ないことを充分わかっていて、だからどこかで人や世界やらに接続しようと試みる。
 
そんな基本的な欲求として、人は1日2万語というのがあるんじゃないかと思う。
 
最近のワシは、犬の介護以降は、すっかり出不精になってきて、引きこもって本ばかり読んでいるが、犬ももういなくなったんでそろそろリブートしようとは思うのだが、なかなか腰があがらん。
 
その分、本を読んだり文章書いたり、イラスト書いたりするのがオモロイわけで、んで、思ったんだが本っていうのは、基本的に会話なのだ。
 
インタラクティブ(双方向)ではないが、誰かの会話を聴いてる状態。
 
んで、インタラクティブでないから、ここでクソ長いレヴューを書く。
 
最近ハマったニュースにコメントを入れるのもそう。
 
自分でも金にもならんのに何してるんだろうと思うが、これ全部1日2万語をやってるわけ。
 
近所に住む一人暮らしのジジイの家からはずーっとテレビの音が流れているが、このジジイもワシが本を読むように、テレビから流れる人の声に、頭の中でツッコミいれて会話してるのかもしれない。
 
きっとそうだ。
 
このジジイは、もう足腰が弱いようでヨタヨタしてるが、ニッケにいくと相変わらず、常連のジイさんバアさんがたむろしている。
 
家に一人ででいるよりクーラーも効いてるニッケのほうが節約になるらしいが、このジイさんバアさんさんも人混みの中で、ツッコミいれながら脳内で会話してるのに違いない。
 
そおいや、ずっと前、まだスマホとかなかった時代。あるチャットルームに入り浸っていたが、そこの住人のほとんどがワシみたいな自営や、システムの管理者やら、トレーダーやらで誰かと会話するような環境にいない奴ばっかりだった。
 
奴らは、ワシもだが、パソコンで仕事しながら、別のパソコンでチャットルームに入りっぱなしで、出かける時はチャットに「行ってくるわ」と書き込み、他のやつは「いてら〜」と返していた。
 
たぶん誰もなんでそんなことしてんだろと思いながら、やってたんだと思うが、これも1日を2万語なんだろう。
 
さらにネットなかった時代を考えてみる。
 
その時代は意外と喋る場所は多い。魚屋、八百屋では会話していたし、店も今みたいに丁寧な接客よりもフレンドリーな会話が多かった。
 
銭湯、路地裏、屋台や一杯飲み屋、そんなとこで誰かと会話していた。
 
まちの裏側にちょこっと入れば、そこには会話がウザいぐらいにあった。
 
西田さんが、「1日2万語会みたいなのやらへん」って言ってきたことがあったが、当時はワシは忙しかった。犬も元気だったし、ワシも今みたいな出不精ではなかった。
 
そんな余分なことできねーしと言ったように思う。
 
また、西田さんは犬猫の里親会やら保護やらで、これまた忙しいかった。いや、なんでもかんでもコッチにふってくんな。
 
それに、そういう会を仮にやったら、どんな人が来るかは目に見えてあきらかだ。
 
これは鶏とタマゴ問題だが、喋りまくって止まらん人、延々と自分のことを喋る人、こちらの都合を考えずに押しかけてくる人、そういう人がくるのは、実は前例があるからわかりきっている。
 
これは、前にも書いた「交通量の少ない町の運転マナー問題と同じで、普段からーの「淘汰圧」がかかっていないから起きる現象だ。
 
とにかくややこしくなるし、それ時間を取られているわけにもいかないのだった。