turuya

西鶴アーカイブ

いろんなところに書いてきた文章のアーカイブ

【打ち込む文字 流れる文字 依り代となり、ものがたりが立ち上がる面】

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「縦書きが好きなんやね」と言われた。

 


ここんとこハマってるリアル絵に文字入れるやつを見ての感想だと気がつくのに多少時間がかかった。

 


「いやー、好き嫌いとかではなくて縦書きは便利なんでねー。日本語は縦書き横書き混在できるんでありがたいのね」

 


そう答えたのだが、はて、この先も語るべきなのか?相手はその先を聴きたいような顔をしている。

 


けれど、ちょっとした世間話にはヘビーな話になる。

 


どーも、ワシは変に真面目なとこがあって(はい、そこの人笑わない)、質問にはなるべき正確に答えようとしてしまうクセがあるのだ。テケトーに話を濁すのは罪悪感すら感じる。

 


正確に縦書き横書きを喋りだしたら、それこそセミナーになってしまう。この相手はそんなこと夢にも思ってないだろし、そんなことに興味があるようにも見えない。

 


そもそも、だから、「好き嫌い」で判断したのだろう。縦書きしてるのはワシの好み。これだとシンプルで簡単で誰もがそれ以上求めない。個人の嗜好に閉じ込めることができる。世間はカンタンを好む。

 


「縦書きは、上が天、下が地。天から降りてきた言葉は啓示。降り積もるもの。そこに絶対的なものを人は感じる。対して横書きは、流れ。変化してゆく途中のもの。ただ、流れも地におけば体積したものになる。固定化できる。最近電子書籍で横書きで小説書く素人さんも多いけど、あれだと途中経過のレポートになる。小説はひとつの世界を降ろしてくる作業だからなるべく縦書きが日本人には望ましいんだよ」

 


頭の中でワシが勝手に喋ってる。だが、まだ声には出していない。

 


これはいわば手品の種あかしみたいなものだ。

 


最近はデザインはアプリでするものなので、アプリの取説みたいにいろんなエフェクトのかけ方を解説している本やサイトも多い。

 


けれど、なぜそのエフェクトが必要なのかを解説しているものは少ないし、それを明確なロジック(設計思想)として語れるやつも少ない。

 


結局、頭の中の種あかしはせずに帰ってきた。

 


種あかしするマジックなんてつまらんとワシは思う。

エンターティメントであるならばだ。

 


けれど、種あかしは誰かに伝えるべきだともワシは思う。

文化であるならばだ。

 


でないと「日曜大工の人が家建てる」、「家庭菜園で農業する」、「ロゴアプリでロゴつくる」、「プリントごっこやステカでTシャツつくる」、「ワードプレスでHPつくる」、みたいなことになりかねない。これは分業の崩壊だし、しいては文化や技術の崩壊になる。(※1)(※2)(※3)(※4)

 

 

 

なぜ縦書きなのか、なぜ横書きなのか

なぜこの文字だけ15度に傾けてあるのか

この余白はなになのか

この罫線はなぜ引いてあるのか

なぜこの文字の大きさなのか

 


それらはすべて言葉によって説明可能なものだ。

ときには文化的文脈で、とくには数学で、ときには心理学で

それらはすべて説明可能であるし、説明するべきなのかもしれない。

 


※1 つか、もうなってるやん!

 


※2 その功罪は、「お手軽カンタンが責任を社会から消し去る!」ことだ。

 


※3 仕事には、費用弁償という考えがあって、これはつまり時間給のこと。使った時間を弁償しますが時給の本質。ここには責任というものはほとんど無い。

 


※4 あー、これは長くなるんでまた書くけど、好きなこと仕事にしたけどすぐに辛くなるって辞める人はこの責任に耐えられないから。

 


※イラストはシュタゲの「だが男だ」の人。誰も知らんか。