納品いったら事務所の人がワラワラと集まってきて、すごーいと。
ワシは鼻高々になる。最近はメールで完結することのほうが多いんでこゆ感じが貴重になってる。
んで、次にとこ原稿もらいにいって、仕事と関係のない話をそこの上司やおねちゃん相手の30分ほどしゃべくりする。しゃべくりは得意だ。この場をつくりだすために真先に上司に話しかけるという小技もちゃんと発動させた。
たぶんね、こーゆー細かな日常、日常の小さなことが人にとっての動機づけで、仕事の量とか大きさとか金とかはあんま関係ない。
ましてや、大きな夢とか、成功するとか、闘って勝ち取るとかは、「言い訳」あるいは「詭弁」なんじゃないかと思うわけ。
人って基本単純で、ようは脳汁が出るか出ないかなんじゃね?と思うのだった。
しゃて、最近、バズってるらしいのが「ラ.カンパネラおじさん」。
ワシ見てないんだが、さんまの番組で「夢を叶える」みたいなやつがあるらしく、そこで当選したのがこのカンパネラおじさん。
おじさんの夢は、フジコヘミングに自分のピアノを聴いてもらいたいというものだった。
この人ワシと同じ歳、(イッコ上かな?)なんだが、本職は海苔漁師。ピアノとまったく縁遠い人で楽譜も読めない。
漁のないときは毎日暇つぶしにパチンコ三昧。70万も負けたことあるらしい。もーパチンコはやめようと、次の暇潰しに、ふとピアノを弾こうとおもったらしい。嫁はんがピアノの先生らしく家には本格的なピアノがあったらからだ。
おじさんは、テレビでたまたま見たフジコヘミングが奏でるラ.カンパネラを弾きたいと思ったらしい。
ラ.カンパネラは難曲らしい。がピアノ素人のおじさんはそんなこと知らない。YouTube見ながら、見よう見まねで練習し始めた。
んで、何年もこの曲だけ練習してて、楽譜も読めんから「ねこふんじゃった」も弾けないんだがラ.カンパネラだけは、すげー上手く弾けるようになった。
これがさんまのテレビで放送されて、一躍時の人となったわけ。
「やっぱ夢を追いかけるって素晴らしい」「58歳でも諦めたらあかんなぁ」というのが世間の評価。
まあ、本人もそんなふうなこと言ってる。
けど、ワシは根拠ないけど確信持って言うわ。
この人、夢なんて持ってピアノ弾き始めたんじゃない。
ただ、毎日楽しくてピアノ弾いてたんだと思う。
このおじさんは、ドラクエしたり、ギャンブルしたり、漫画読んだり、酒飲むのと同じ感じでピアノ弾いたんだと思う。
誰かと勝負してるわけでもなく、ゴールを目指すのでもなく、なにかのコンクール目指すのでもなく、ただ昨日の自分よりちょっと上手く弾けたなと、脳汁でいい気持ちになりながら、続けたというよりは「気持ちいいから辞めれんかった」んだと思う。
そりゃ、このおじさんでなくても「いくつになっても努力は必要ですよね」と言われたら、「そうですね」とは言うだろう。人は物語に憑依されてるからだ。
努力や流した汗やはイコール歯を食いしばった因果だというふうに子供の頃から「物語」によって刷り込まれている。だからゴールしたときにその汗と涙のご褒美が与えられるんだと信じてやまない。
いわゆる成功者の伝記でも、順風満帆では物語りにならないから、ほじくるように不幸話を書き、そこからのV字回復を物語の主軸に据える。でないと面白くもなんともないし、共感なんて呼ばないからだ。
もちろん、夢というゴールや、そこに至る細分化された細かな通過点は計画を立てるには必要不可欠なものだ。
とくに、事業や仕事や他人と関わることすべてにおいて効率化や最小公約数を求めることは、考えてなくてはならない「マナー」みたいなものだ。
が、他人と関わらないこと、他人になんら関係のない自分のことになると、物語はときとして足かせになる。
夢やゴールを語ると、そこに瞬時に立ち上がるのが「物語」というフレームだ。そのフレームはもう数パターンのテンプレートしかない。頑張って状況を変え、ゴールを勝ちとるというのが一番多いパターンだろう。
(このパターンは、そのルーツがすべて神話にある。この神話がなぜ産まれたかは興味深い研究や、ワシの仮説があるが長くなるんでどかで書くか喋る)
物語が立ち上がれば、それに共感する奴がワラワラと集まりだす。
早い話、「マンモス狩って1年遊んでくらすけど、ワシと組むパーティ募集!」ってことだ。
だからここで語る夢やゴールによって集まる人材が変わってくる。
そうやってゴールを目指すが、これは物語の面白さであって、現実はそうではない。
人は、細かな日常、日常の小さなことしか体感的に感じられない。だから自分一人で語る夢やゴールは実現しないし、計画どおりにはいかないのだ。
夢やゴールは、自分を動かす原動力なんかじゃない。あくまで他人を巻き込む嘘であるし、方便であってシステムを動かすオイルでしかない。