【大衆化民主化】
ふと気がつくとFacebookも他のSNSも宣伝ばっかになってきてる。
お金はらっての「広告」もそうだが、お金はらってないドヤ顔のアピールも含めると90%ぐらいはそうじゃないかと思える。
ジワジワとそうなってきたんで気がつきにくいが、数年前のタイムラインを思い返してみたら、もー全然違う。キャプチャしてたらよかったな。
「大衆化したらつまんなくなる」ということ言う人もいるが、「大衆化したら宣伝に使われるからつまんなくなる」というのがタダシイんじゃなかろうか?
で、思ったんだが今のSNSのつまんなさと、ワシの仕事の分野の広告宣伝のつまんなさは同質だということ。
このつまんなさをさらに深掘りしていくと、多様性のなさというものに行き着く。
たとえば企業の戦略なんてものをキーワードに本やネットで検索してみたら、コピーペーストの戦略しかでてこない。同じ戦略でゲームするってそれ戦略なのか?って笑い話だ。
同じ手を打つ将棋だとしたら先行が勝つんじゃね?それだとゲームしてる意味なくね?
多様性のなさってことで言うと、この前某館長が言った「民主主義も突き詰めたら社会主義みたいになるよなー」ってのもこういうことだと思う。
皆が納得するものには、平均化か中央値化しかないわけで、そこにイノベーションとかインパクトとか競争ってオカシイだろ。
そういや、デザインでも皆で決めると間違いなくつまんないダサいものになる。意見を調整するから、トゲが丸められ、主張は柔らかくなり、ツッコミが起きない無難なものへと流れていく。
あってもなくてもいいようなものへと変質してしまうのだ。
イズムはことごとく民主化によって無効化される。
アレすな、コレすな、こうしろ、あーしろ、それじゃダメだ。ルールを守れ。
つまり、王政の王が平均化中央値化という王に変わっただけなのだ。
人々は王様の顔色を伺うように、大衆の顔色を伺うだけなのだ。