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西鶴アーカイブ

いろんなところに書いてきた文章のアーカイブ

【明日の政治はどうなるか~政治は神さまにおまかせっ?~】

スタートレックの世界のコンピュータの記録がある異星人によって消去される。艦長は技術士官のラフォージにデータを復元させるように命令する。

 


ラフォージ、データを復元させるのに何分かかる?

了解、20分ください。

オケ、10分でやれ!

 


当時は、まだWindows95が出たばかりだった。(たぶん。記憶はあいまい)だもんだから、クラウドという概念も知らんかったし分散型という概念も知らんかった。

 


だもんだから消えたデータを復旧させるということがピンとこなかった。

で、調べてみたらどっかの皮膚科のネットページに詳しく書かれていた。

 


皮膚科の医者の自分とこのホームページなんだが、本業はほったらかしでスタートレックの技術情報を詳しく解説しているページだった。

 


あー、なんて牧歌的なんだろうか。あの頃のネットはオモロかった。

 


で、データは1台のサーバーにまとめて置いておくんじゃなくて、複数のコンピュータに分散して置いておくから、そのリンクさえ復元できればいいのだということだった。

 


あのファイル共有ソフトウィニーと似たような感じ。ブロックチェーンみたいな感じ。

 


まあ、ここで書いてることはド素人が概念だけで書いてるんでツッコミは勘弁してくれ。

 


はてあれから20数年、いまやクラウドコンピューティングは当たり前で、スマホのデータもなんでもかんでも自分のパソコンの中ではなくて、どっかにあるサーバーに格納されている。

 


んで、こんどは5G規格で同時接続できる機器がむちゃくちゃ多くできる通信が整備されつつある。で、その先にはクラウドと端末を仲介するフォグコンピューティングが整備されることなる。

 


このフォグコンピュターは、たぶん携帯の基地局とかに設置され、画像解析などの計算をすることになる。

 


オモロイのは、1台のフォグコンピュターがその演算能力がマックスになると近所のフォグコンピューターにヘルプを出して演算を助けてもらうことだ。

 


これは中央集権ではなくブロックチェーンみたいな分散型だ。

 


つまり、スタートレックの世界のようにコンピュータは単体の機械というよりも、ネットワーク全体がコンピュータであると、そういうかたちに変わってくる。

 


だから、1台のコンピュータが破壊されようと「死なない」。

コンピュータの死はネットワーク全体が瞬時に破壊される以外ありえないということになる。

 


人間の脳も同じで、事故で脳の一部が破損しても、他の部分が破損された部分の機能を代用するようにできているらしい。もちろんそのネットワークを再構築するには時間もかかるし、そのためのリハビリも必要らしいが、記録によると脳の半分を失っても復旧(つまり普段と同じという意味)できた例があるらしい。

 


ワシはなぜかガキんちょの頃から謎の信念を持っていて、それは「意識はネットワークがある閾値を超えたときに生じるものなんじゃね?」というものだった。

 


今では、あまりにも荒削りすぎな信念だが、おおまかなところではまだこの考えが間違いではないと思っている。

 


たとえば多勢の人が集まる場所で生じる「ふーんいき」ってやつ。これもネットワークから生じる意識の一部だ。

 


仕事でいろんな会社や組織に出入りしていて感じるその会社のふーんいきもそうだ。まちに流れるふーんいきもそうだ。

 


これを遺伝学者?のリチャードドーキンスは、文化的遺伝子(ミーム)と呼んだ。

 


ワシが新規の仕事を受けるとき、とりあえず相手の会社にでむき打ち合わせをしたがるのはこのふーんいきを感じたいからだ。その作業をおろそかにすると、なかなかドンピシャな提案はできないのだった。

 


だが、最近はメールでのやりとりが一般的になってきたんで困ったもんだ。

 


世の中にはテンプレートなデザインばっか出回っているが、会社お抱えのデザイン屋は客とあうことをしない。だからどこかで見たような教科書的なものしか作れない。有名どころの大御所ですら、ちゃんと客の会社に足を運んでるというのにだ。

 


パソコンの前だけで完結してるデザイン屋とかコンサル屋は間違いなくいい仕事ができない。刑事じゃないけど、現場100回なのだ。

 


話がそれた。

 


しゃて、ここまでは来るべき明日という未来のお話。

 


ではこの地球を覆う脳でもあるコンピュータが政治を司るとどうなるだろう?

 


つか、これまた長い話になるなぁ。もーFacebookにかきこするんは無理なんかのぉ。つづきはまた書くけどー。

 


結論だけ先に書くと、機械という社会主義が出現するんじゃないかと。

それは、規則や規範や道徳をふりかざすものではなくて、ナッジ理論を駆使して人の選択を殺していくんではないかというもの。

 


ナッジ理論っていうのは、これもーワシの分野(広告)なんだが、人に意識させることなく人の行動を制御するテクニック。

 


放置自転車を道路から追い出すのに、「自転車止めるな」と制限するんじゃなくて「ここの自転車は誰でも持って帰ってかまいません」と公示するというもの。

 


ここで重要なのは、ナッジは自由意識の皮をかぶった父権主義だということ。

 


けど、考えてみればワシらの日々の選択はつねにナッジだ。

文化的遺伝子や、他人の行動やらのバイアスに常に影響されている。

自分では最適解だと思っていても、それは果たしてそうなのか?

 


これをワシのような直感ではなく、棒大なデータから導きだす最適解として実行できる能力がディープラーニングから始まった自律型のコンピュータだという話。

 


ワシらは近い明日、

とってもスマートに、

ストレスフルに、

じわじわと気がつく間もなく、

地球を覆う脳という神さまという王に我が身をさしだすのだ。

 


はて、それはシャーワセなことなのか?