turuya

西鶴アーカイブ

いろんなところに書いてきた文章のアーカイブ

【まだ続く、庵野くんドキュメンタリーの感想〜】

f:id:hotkakogawa:20210818113920j:plain




困った人である庵野くん。

本人もその自覚あるんだが、困った人である自身の居場所は仕事しかない。ゆえに困った人を貫くしかない。この無限ループの円環は、エヴァの映画が何度もループを重ねているのに符号する。

それが今回の映画でようやく終わりを迎えたのだ。

よくものづくりの現場で「こだわり」なんてことが言われるが、ワシはそうは思ってなくて、こだわりじゃなくて「落とし所」なんだといつも言っている。

こだわれるのはアマチュアの世界で、それはそれで羨ましいとかもあるが、仕事にはならない。資源も時間も人も、限度があるからだ。

エヴァ庵野くんの会社が出資してるんで比較的制約はゆるい部分はあるだろうが、それでも時間やらの制約はでてくる。

これはドキュメンタリーでも庵野くんは語ってることだ。
何度も、お客さんという言葉が出てくるし、終わらせないといけないと言っている。けれど、その終わらせ方がよくわからない。それが今までにエヴァだった。

今回の映画は、最後の部分になるDパートを何度も脚本から書き直している。それは自分の心と向き合う作業だったはずだ。円環にどう「落とし前」をつけるか。

時間との制約の中、落とし前は落とし所という最小公約数の探りになる。

こだわりなんてものは、プロジェクトのスタート時における当たり前の話で、ここでは「どう拘らないか」を探る作業になってくる。

これは宮崎駿でも同じで、「満足いく作品なんかひとつもない。むしろ満足いく作品できたら辞めてる」と言っている。

まー天下の大御所とならべてワシのこと書くのもなんだけど、予算も時間もなく、ましてや客からの依頼という仕事においては、落とし所、悪く言うと「妥協点」こそ仕事そのものだ。

こだわっていたら、仕事が終わらない。つまり仕事にならない。

その上で、反響のあるもの、いいものをつくるために「3回ルール(提案は3回まで、それで説得できない場合は向こうの言う通りのものをつくる)」とか、「徹底説明ルール(なぜこーなるのかを具体的な例をあげて説明する)」などの工夫をしている。

そんな工夫の中うかびあがるのが、発注してくる個人や組織の思想や考え方や長所と欠点などなので、だんだんと仕事がコンサル化してくる。

考えたらこれも庵野くんが陥った円環と同じものだ。(これは長くなるんでまた別の機会に書く)

ものづくりは、こだわりじゃなくて「落とし所」なのだ。

アマプラで同じく庵野くんの初期の頃の映画「式日」というのがあったので見てみた。けど、あまりにも暗く気がめいるので一気見ができない。
数日に分けて見てるがいまだに見終えていない。

この映画はそんなに今ほど庵野くんのなまえが一般的でなかった頃に作られたものだと思うが、落とし所がほとんど無い。だから一気見できない。

アマプラだからいいけど、映画館なら途中で席を立ってるだろう。金かえせこのやろう。

これはこだわったあげく客をおいてけぼりにした例だ。ゆえにサブカルで名作でアングラで一部の人に(しか)ウケるのだ。これは商業作品ではなく、個人的な作品でしかない。

ちなみダイコンフィルムは、大いなるアマチュア作品で、その資金を手にしたのは岡田トシオの営業力だ。アマが天下のバンダイから金を引き出し、こだわった作品を作り上げた。

けど、ダイコンフィルムでさえ岡田くんは落とし所を想定していた。それをことごとく壊してきたのは庵野くんだ。

ジプリの鈴木さんは、この辺を「大人になれなかった男が庵野だ」と言っている。岡田トシオは、当時から大人でゼネプロなどの店をヒットさせる商売の天才だった。その秘密が落とし所を本能で見極める部分にあったとワシは見ている。

話がそれたが、商業作品なら落とし前を設定し、落とし所に落とす必要があるのだ。

庵野くんはこのことをよーくわかっている。それはテレビシリーズから始まり、今回に至るまでで気がついたことなんだろうと思う。

今回の映画は、プレビズ(ワシらで言うラフ、大雑把な仮組みみたいなもの)の段階でスタッフに試写をし、自由に感想を書いてもらうという方法を採っている。

結果、スタッフからは、「なにをしてるか分からない」「意図がわからない」などの声があがる。
庵野くんは、その声にショックを受けたようで、「こんなに理解されているとは思わなかった」と脚本を一から描き直すと言い始める。

放映日が決まってる上でのこの作業に皆、またかと諦めた顔をしている。

庵野くんはエヴァは、僕が作ったアニメではなくて皆が作った作品だ」と語っているが、これはよくある謙遜でも良い子ちゃんの発言でもなく、事実だ。

庵野くんという困った子供の尻拭いができる組織。その力量の成せる映画だ。

そして書き直した脚本に庵野くんは「これで精一杯だ」「これ以上時間を伸ばせない」と言い、全員完成に向けて動き出す。

これは落とし所が決定した瞬間だ。

スタッフはさぞしんどかったことだろう。それは試写の時の涙に現れている。

映画が完成したときにスタッフが庵野くんに言う。
「満足しましたか?」
庵野くんは一瞬間を置き、「うん、終わったからね」と言う。

庵野くんは、この時ようやくエヴァという呪縛から解き放され、劇中のシンジのように大人になれたのだった。

※この「こだわり」というものの罠にハマる人って結構多い。
こだわりすぎると大衆が対象ではなく、マニア対象でもなく、自分だけのものになってゆく。
シェア経済では、基本割り勘なんで多少こだわったものが出来るが、割り勘の数が少なくなれば値段は跳ね上がる。
かくして、こだわりというキャッチコピーだけが作為的に世の中に氾濫し、こだわり=いいものという構図が出来上がった。
これが、こだわりの嘘。