なんかトップガンの分析書いてたら、思考が止まらなくなってきた。
例えばよ、ワシホームページのお仕事はあんまりしてないけど、サイトの基本設計としたら、まず載せる情報にカテゴリつけてー目次みたいな感じで画面のどかに配置して。クリックしたら詳しく載っててーみたいに考える。
その方が情報をさがしやすいから。
が、最近はオサレなサイトはそーゆーことしてない。延々とスクロールしてゆく映えな写真。キャッチーなコピー。ページを構成するオブジェクトが、画面の外からばーって集まってくる凝ったエフェクト。オサレな効果音。
そんな感じ。
ぼーーーーーーと見てる分にはオモロいが、情報を探しているほうとしたらじゃまくさい。
こゆ依頼きたら、仕事だからするけどー、ええんか?ほんまにええんか?つか、ほとんどテンプレですけどー、写真あったら自分でできますけど、ええんか?となる。
ここで必要なのは、編集よりも映えの写真と映えなコピーだ。
ワシの相棒のコーレルドローも、いちおうソフトのヘルプは用意しているが、Adobeのマネしてチュートリアルが次々と動画に変わっていってる。
ワシとしては、ぼーーーーーとこれ見てるより、知りたいことをサクッと知りたいのだが、テキストでそれを受け取るには探しまくらんとアカン。
だからだろう。イラレとかは「逆引き辞典」という本が定番で売れていて、これはつまり辞書。やりたいことから、操作を探すというものになってる。
こゆことが、至る所でいろんな分野で、すごいスピードで起きている。
トップガン的、TikTok的とワシは言うが、その共通点はなんだろう?
スピード?テンポ?いや、実際この例の場合、知りたい情報にたどりつくまでにやたら時間がかかるんで、スピードではなく、キーワードは「コンテンツの短さ」だろう。
わかりやすさ?たしかにテキストは、頭に中でイメージに変換する必要があるから、齟齬が起きやすい。ビジュアルイメージだと、まんまイメージなんで、頭に直接入ってくる。
つまり、ここで言う「わかりやすさ」とは、「理解しやすさ」ではなく、「考える必要のなさ」なのだ。
これは、最初に書いたスピード?テンポ?の部分にかかってくる。
「テンポよく」というのは、「考える隙を与えない」ということなのだろう。
次々と次の情報が波状攻撃的に押し寄せてくるので、考えてる暇を与えない。これがテンポとして認識されているのだ。
それと、これはワシに専門分野からの分析だが、「能動的でなくてもいい」こと。
テキストは、読むという能動的な行為が必要だ。見ることは、受け身でも構わない。たまに「情報量が多い写真」というのがネットであがっているが、商業写真などではこういった情報量の多い写真は普通つかわない。
何が写してあるのかが明確でないと、メッセージの解像度がブレブレになるからだ。情報量が多いと、なんだろう?と考える必要がでてくる。
「コンテンツが短く、考える隙をあたえず、受け身でいいこと」というのがその定義ではないかと思える。
トップガンのすごいとこは、これらを2時間(かな?)持続させたことだ。
だから、映画が終わったとき、まるで麻酔から覚醒したような気分になったんだろう。
と、ここまで書いて気がついたのだが、これって洗脳的とも言える。
そしてその手法は、気持ちよく快感なのだ。
ここまで思考してきてワシはなるほどなーと合点がいく。
広告というのはアメリカが抜きん出て科学的に進んでいる。
サブリミナル効果なんていうものは100年以上研究されているし、実験的な広告も積極的に行われている。
いや、これ陰謀論とかではなくて、事実としての歴史なのだ。
マーケティングで言う「企業のストーリ」とか、「ブランディング」とか、ひと昔前の「コーポレートカラー」とか、そういうのもこれらの科学のカケラが輸入されているに過ぎない。
で、それらはいかに人をコントロールするかが、テーマになってる。
いかに「理解してもらうか」じゃないのだ。
ワシは今の仕事を始めた若い頃、いかにコントロールするかをずいぶん思考錯誤したし、それに魅力も感じていたわけだが、仕事をしていくうちにいかに理解してもらうかにテーマがシフトしていった。
だから、プッシーな表現は嫌いだし、カッケーなんてもののプライオリティは低い。情報はアクセスしやすいように編集すべきだし、答えを出すことではなく、問題を考えることが重要だと思っている。
そしてその手段が広告でありデザインだと思っているのだ。
が、これは実に時代にあっていない。
ワシがトップガンにこだわるのはおそらくそこだ。あの映画がほんとに退屈でクソな映画なら、どれだけ安心できただろうかとさえ思うわけだ。