turuya

西鶴アーカイブ

いろんなところに書いてきた文章のアーカイブ

【へ9314】

最近は夢(寝てるときに見る夢のほう)がオモロイ。ちょっとした脳の変性がその原因だと思われる。それは長くなるんでまた書く。

 


んで、ふと「臭い」は夢で再現できないことに気がついた。言い換えれば臭いはイメージできない。変な言い回しだが、起きていても寝ていても臭いがどうやってもイメージできない。

 


音というのは脳内で再現できる。とくに音楽や人の声などはまるでリアルで聞いているぐらいの精度があるんじゃないかと思える。映像もそうだ。

 


ところが臭いはそうではない。再現できない。臭いを嗅いだ時にその臭いが何かを思い出すことはできるが、脳内で臭いを再現することはできないようだ。

 


なぜなのか?

 


まあ、別に臭いがイメージできなくても生活になにか支障があるわけではないのだが、これは気になる。

 


そおいえば、ワシはどうも臭いに人一倍神経質なところがあるらしい。

嫌な臭いを嗅ぐとすぐにその場を離れようとする。気になってしかたがない。あまりにも臭い臭いと言うので、その場に一緒にいる人から「えーそんな臭いするかあ?」と言われる。

 


「いや、長い間犬と暮らしていたんで鼻が犬なみにきくねん」といつも冗談で言ってるが、この臭いに関する神経質さが始まったのは小学生の頃なのだ。

 


臭いというのは、臭いの分子が鼻のセンサーにひっかかるからするんだと本で読んだからだ。臭いの分子は、臭いがするそのモノから発せられる。

つまり、ンコの臭いは微細ながらもンコそのものだということではなかろうか?

 


なら、この臭いが臭いもとに直接ふれているのと同じ、いや、体内に取り入れているからさわるよりも最悪じゃないか!と小学生のワシはおそれおののいた。

 


見るのも聞くのも、そのものではない。

あくまで光や音といった媒体が間にはいっている。臭いは、そのものである。あれから、見るよりも聞くよりも嗅ぐことがおぞましくなったというわけだ。

 


そういえば、触覚もそうだ。夢でなにかにさわることはできない。いわゆるクオリアというものは、視覚や聴覚ではなく、嗅覚や触覚などモノそのものとの接触により生まれるものなんだろう。

 


目からの情報の大元は、光である。耳からの情報の大元は空気の振動だ。

しかし、鼻からの情報はそのモノの直接的な分子であるから、脳内で再現できないんじゃないだろうか?

 


だから脳内では再現できない。よって夢にはでてこないんじゃないだろうか。

 


臭いが記録できないのも、臭いは「そのもの」だからだ。

じゃ、仮に臭いと触覚がスタートレックホロデッキみたいに、分子構造から再現できたらどうなるだろう。

 


それはもう、現実そのもののようにクオリアが立ち上がってくるんじゃないだろうか?