夢とナラティブ
最近夢がオモロい。
昨晩は前にも夢ででてきた伝説のロックバンド10No!とそのボーカルヒロヒトが出てきた。曲を教義とした宗教みたいになっていて、グルーピーの一人となってる少女を救いだすというストーリー。
が、この10No!の曲(教義)が結構イケててミイラとりがミイラ状態になっていくという、信者に押さえつけられたとこで目が醒めたら、はてにゃんが身体のうえに乗っかってた。
続きを見ようと再び寝たんだが、押さえつけられてるシーンは同じなのだが、設定がまったく違っていて、押さえられてるのは手術用の機械。
鼠蹊部の動脈にナノマシンを入れられるとこからだった。
このナノマシン、電波でマシン同士が通信できるらしくて、いろんな陰謀論のネタにされてるやつ。
主に血管の修復に使われる用途のものなんだが、脳のウェルニッケ野に集中させることで外部から意識に介入できるという噂がある。
鼠蹊部からマシンを注入されると、鼠蹊部と心臓が熱くなる。そこで目が覚めたんだが、膀胱パンパンでチッコいった。
この手の夢をみるときのコツとして寝る前にコーヒー飲むというのがあるのだが、利尿作用が働いて途中で尿意で起きてしまうのが残念だ。
さすがにオモロい夢を見るためにおしめして寝るのもどーかと思うので控えてる。
そのせいですげー寝不足。
あまりにもオモロいんで、文章にでもしてみようと思ったが、小説にしたらそんなにオモロい話でもなくなる。たぶん、これって「当事者問題」ってやつなんだろう。
物語とナラティブというのは同じ意味とされてるケースが多いが、微妙に違う。物語はストーリーそのもので、ナラティブは当事者による語りだ。
だいたいワシらの意識はこのナラティブに憑依されている。人がストーリーを求めるのは、このナラティブに猿轡を噛ませるためだ。
夢にでてきたナノマシンで例えたら、マシンは言葉、それが通信しあって一つのナラティブになり、それはアウトプットされて他者に憑依するためにストーリーへと進化する。
そのストーリーが、他者の頭の中で言葉を生み出し、またナラティブにというループ。こうやって未来に流れていく遺伝子のように、言葉もミームしてゆく。
そこに乗っかるのが人の意識というわけ。