【明石市長暴言問題と能力と責任問題】
なんか脳の病気でね、「言ってはいけないことを叫んじゃう」というのがあるらしい。脳のスパーク、いわゆるてんかんの亜種らしい。
たとえば生放送でちんこ!とか叫んじゃうらしい。
これ、本人には結構辛い病気だと思う。なにしろ、見た目は健常者だから、そういう病気だとは見られない。
けれど、そういう病気の認知度が上がれば、世の中は結構寛容になれるほどには、理論的だったりする。
市長の暴言は、どこまでが暴言でどこまでが方言でどこまでが気質なのか?という問題はあるが、ようするに受け取った側が暴言だ!傷ついたー!と騒げば、暴言になるという曖昧さを表している。
これは市長の問題ではなくて、どこにでも転がっている「事故要因」だ。
ワシなんかは、おねちゃんに「おっ!今日の香水ステキやん」と無意識的に言っちゃうから、セクハラに気をつけないといつどこで事故るかわからない。
不快だと言われると一発アウトだし、その境界線を引く主導権は、こちらにはまったく無い。
明石の市長の能力は、いわずもがなだが、ざっくりと言うと忖度しないということだろう。
まずは公共施設やら商店街への補助金やらをカットして子育て関連に全フリする。そのことで、人工増やして税収も増やし、増えた分でカットした分を取り戻してゆく。
このアジェンダの付け方が実に計算的で、また他の首長にはできないことだ。文句を押し通すメンタルが必須だろう。
暴言を吐かずに、ちゃんと説明したらいいじゃないかという意見もある。が、これも境界線を引く主導権は相手側にある。
いくら丁寧に時間をかけて説明しても、相手が理解できないと言えば説明できていないことになる。
最初に書いた病気の寛容度は、相手の気持ちよりも障害という不変性に立脚する。病気だから、本人には責任が無い。
なら、能力とこの責任はトレードできないものか?
できないのだ。なぜかしらんが、できないのだ。
だから、誰も猫の首に鈴をつけなくなる。