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西鶴アーカイブ

いろんなところに書いてきた文章のアーカイブ

【会話していてイライラする原因とデジタル断捨離と瞑想】

 

思考の本質はどうも座標軸らしい。


言葉というのもたしかにマンダラートの構造になっている。

 

英語表記の住所みたいなもん。
ここは「本町」です。
本町は「加古川町」です。 
加古川町は「加古川市」です。 みたいな感じ。

 

日本の住所表記は、この逆だ。

英語はGoogleアースで上にあがっていく感じで、日本語は寄っていく感じ。
人間が神の視点に近づいていくのと、神の視点が人間に近づいていくのとの違い。

この階層のレイヤーは結構重要で、とくに他人との会話には相手と同じレイヤーにいないと会話が成り立たない。

 

レイヤーのどこにいるかは、その時に短期記憶に居座る事柄で決まるというのがワシの仮説。

あれもこれもとタスクで頭がいっぱいの時は、下層のレイヤーにいるし、短期記憶の領域が空に近いときは上層のレイヤーにいる。

 

だから、ワシの場合、どうでもいいことはすべてメモに書く。はなから覚えようとしない。未だに郵便番号覚えていない。短期記憶はすべてここに書いてるような思考に使いたいから。

だから、心配事とかは嫌い。短期記憶に居座るから。自分の生命に危機が迫るときにすぐに行動できるように短期記憶に心配事は居座る。

 

これはもう、そういう身体のしくみだからどうしようもない。

台風がくるなんてのもそうだし、身体のどこかが痛いとか、身体が動かないとかもそう。あと食欲性欲海水浴な。これらは短期記憶から追い出せないから、下層のレイヤーから上層のレイヤーに自分を置けない。

 

つまり、視座が高くならない。俯瞰ができない。ということになる。

もちろんそれでも構わない、というかそれでなくては生活できない。

 

瞑想というのは、このレイヤーの移動をスムーズに行う訓練だ。

レイヤー移動は、筋肉みたいなもんで鍛えていたらよく動くが、鍛えてないと動きが鈍い。

上にいったり、下にいったりすることを普段からやっておくと、動きやすい。

よく座禅を組んでいて目は半眼というが、これも理にかなっている。まったく目を瞑ってしまうとセンサーが働きすぎて集中できない。

集中できないとは、外の世界が気になるということだ。
(SNSはその典型だ)

 

目を開けていたら、常に情報が飛び込んでくる。

だから情報を極力しぼるがゼロにはしないというのが重要なのだ。

ちなみに「自分と向き合う」とは、自分を他人として見るという水平の座標軸なんで、垂直の座標軸とはまた違う方法になる。