この前組織について書いてる分厚い本「ティール組織」を読んだんだが、歴史的な組織の構造の変遷はオモロイんだが、これからの組織はどうあるべきかというのが全然頭に入ってこん。
読んだけど、待ったく記憶にない。
この本は組織の変遷はオマケみたいなもので、これからの組織はこーであったほうがいいんじゃね?の部分が重要なんだろうけど、まるで仮面ライダースナックのカードの部分だけ手にいれてスナックを捨ててしまったように本題が残ってへん。(例えがわかりにくい)
なんでかってーと、「これからの組織」という部分がワシとしてはまったくの他人ごとなのだ。
で、ハッと気がついた。
この頭にはいってこない理由は、「ワシにはまったく他人事」だということこそが、これからの組織に必要なことなんじゃないかということ。
逆に言うと、自分に関係あることなら、おのずと頭に残っているということ。他人事よか自分事。
文字にしたらすげー陳腐だが、もうちょい、説明する。
組織論が必要な人は、なんらかの組織に属している人だ。
組織とは、なんらかの目的のためになんらかのルールを定め集まった人の集団である。
ワシはそういう組織には今はまったく属していない。
ほっとかこがわは、組織というのとはちょっと違う。(ほっとの場合は、ちょっと異質だ)
だから、これからの組織というのはワシ的にはまったく自分と関係のない他人の性癖ぐらいどーでもいいことに近いのだ。
いや、あーたがSMプレイしていようがワシ知らんしーみたいな。(例えがわかりにくい)
この本を手にとったのは、組織というものをもっと大きいもの、人のネットワークとか生態系とか、さらに言えば熱力学の法則とか、そういったものとして考えていて、そのことについて書かれていると思ったからだ。
が、そういう大きなものは組織論の枠組みからははみ出す。
どちかというと複雑系のほうの分野かもしれない。
こちらのほうにはワシもいやおうなく属している。その恩恵として「生存可能環境というものや、物理的な法則を使わせてもらっている」
これは他人事ではなく自身のことだ。
人の自発性は常に自分に向けられている。これはブッダであろうがマザーテレサであろうが、ガンジーであろうが、あべしんぞうであろうが変わらない。
ただ、自分の頭の中で他人事と自分事の輪の直径が違うだけだ。
歴史の偉人たちの輪は大きい、あべしんぞうは、ま、それは長くなるんでどちでもいいや。
ティール組織というこのクソ分厚い本は誰に対して書かれたもんだろう?おそらく、会社の経営者、企業のマネージメントをしている人、政治家、コンサル、そんな人が対象だろう。
そんな人の共通のテーマは、いかにして「自発的な人を育て、自己組織化する組織をつくるか」だろう。
自己組織化された組織、なんか日本語がヘンな気もするが、まーそこはスルーして、自己組織化とはリーダーなくしても集団が機能的に維持できるということが定義になる。
つまり、人の集団においては、その構成員が自発的に動くということになる。
自発性は常に自分に向かれている。
この本を読む人と同じものをワシは求めていないから、肝心の部分が入ってこんのだった。
この前、会計ソフトのことについて書いたが、会計についてワシが調べたのも気に入った会計ソフトが見つからず、アクセスでデータベースつくるためだった。
身体について調べ始めたのも、そうだし、パソコンも自前サーバー立てるためだったし、コーレルドローもイラレ高くて買えない(当時はマックのクアドラは100万ぐらいした)からだ。
常に自分と関係あることが自発性として、いや、これは自発という言葉すらいらんぐらいに、誰でも自発性にトイレにいくような感じで求めた結果なのだ。
※最近は頑張らないというワードが流行している。主にスピ系のコンサルの人がよく使ってるのだが、この源泉は自発性の発揮と深く繋がっている。
頑張るは自分に無理をしているから負荷がかかる。それよりも自分の好きなことをしたほうがいいという理屈なのだが、まあ、頑張らないワシが言うのもなんだが、これ間違ってる。
負荷がかかるから強化されるのだ。
誰かが経営してくれるなら、お勉強なんかしなくていい。誰かが自分の身体を管理してくれるなら何もしなくていい。誰かが金の管理してくれるなら会計も経済もかんけーねー。
人は困るから頑張る。結果、世界が広がりワクワクする。
だからワシはガンガレーと人を励ます。これは叱咤してるのではなく最高のエールだ。
※ちなみに会社組織において経営指針が従業員や関係者や投資家の頭に入ってこないというのもワシがティール組織の本の肝心な部分が抜け落ちてるのと同じ理屈だ。が、自分と共通する部分である組織の変遷の部分は人に喋れるぐらいに頭に残ってる。