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西鶴アーカイブ

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ワシらは宇宙服着てでも人と会うべきだった

仕事の打ち合わせを事務所でした。


なんか最近はメールとかばっかなんで久しぶりだ。

んで仕事と関係ない話もするわけ。


少年野球の監督やってることとか、こんな子供がいてこんなふうに指導したとか、こんな仕事を今やっていて役所とこんなことでもめたんだとか、そんな話だ。

 

受けた仕事とは直接の関係はない話なんだが、そんな余分な話からだんだんと「その人」の人物がだんだんと浮き彫りになってくる。

 

この余分がないと、受けた仕事はたんなるマーケティング的にタダシイ仕事にしかならない。

マーケティング的にタダシイ仕事は、人事的にタダシイことをして、財務的にタダシイことをして、広告的にタダシイことをして、経営的にタダシイことをしていれば安定する。

 

なにがタダシイことなのかは、本やにいけば山ほど教科書はある。

 

が、そんなタダシさは「たんなる使用人」であってバイトしてるのと金額の規模がちがうだけの話だ。タダシサに使われているなら、なんのために起業したのか、なんのために企画したのかという本末転倒問題にぶちあたる。

 

さっそくワシはこの余分の部分の延長としてこの仕事の絵をかく。
題して「なにもしない戦略」だ。
「けっこう難しいけど、これでやらないとそもそも意味なんやん」ということでその人と盛り上がる。

 

メールや、オンラインではこうはならない。
メールやオンラインでは、たんなるランサーズ案件、発注する→受けるにしかならないのだ。

 

どんな仕事でもワシはいつもチームだと考える。チームとは、互いにその人物像がわかっていないと組めない関係性に根ざしている。
顔も知らない奴と野球なんてできるわけないし、作戦なんか組めるわけない。

 

そおいや、ワシは今の仕事を始めたときから「印刷や」に営業にいったことはない。普通はみな、印刷屋や広告代理店やらから仕事をもらうが、ワシの場合はいつも直受け。クライアントからしか発注を受けなかった。

 

コンサルの人から仕事を受けるときでも打ち合わせは必ずついていって直接話す。

でないと仕事はできない。今もそれは変わらない。

 

が、最近はそういうのは昭和のやり方だと思っている若いやつが多い。
いやいや、だからタダシイやり方しか世の中にないんじゃないかと思うが、経験したことがないことは基本わからないのだ。

 

企業の内部でも、余分なことは昭和のやり方として切り捨てられている。
そんな企業の仕事はインプットとアウトプットだけでなりたつ、計算機のようだ。どこにも人の気配を感じれない。

 

これで病まないほうがおかしい。

 

コロナでいっきにオンラインが加速したが、んなもん宇宙服きてでも人とあって打ち合わせするべきだ。