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西鶴アーカイブ

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【フィードバックがツッコミだと思ってる人たち】

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コンサルの人って普段の呼称がセンセなんで、あらゆる表現に「教えてやってる」というニュアンスを帯びてる人が多い。

 


横で見てるとオケツがムズムズしてくる。

いやーん、ハズいんでやめてーと叫びたくなる。

 


これ最近の広告にも似ていて、いいねが多いと反響があったと勘違いしちゃうのだ。

 


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例えば、今日フェイスブックあげたらある広告が流れていたんだが、焼きそばを口の中の押し込むおっさんの絵が流れている。

 


どうも食後の血上を防ぐサプリの広告らしいが、気持ち悪いんでその広告を非表示にした。

 


まあ、非表示にするアクション起こす人も稀で、大抵は無視するだろうし、この広告のようにサプリで血糖値あがらんのだったら、むちゃ喰いできるよねという偏差値低いこと考える人も一定の数はいるんだろう。

 


実際、いいねしてる人もいるわけで、広告主はいいねの数字しか見ないから、よくないねという数字はわかんないわけ。

 


こゆのを「裸の王様マーケティング」という。

 


これはダイアローグではなくて、モノローグだ。

 


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前に英語の発音のことを調べていたら、発音をあえて日本語で覚えるということを書いてるブログに行き当たった。かめや!わちゃごなどう、みたいな。

 


んで、さらにそこんとこ調べてたらそういう学習法を教えてるとこがあるらしく、だんだん興味がわいてきたんだが、その学習法のページは、ほら、よくあるズーッとスクロール続くやつ。何回も同じこと繰り返して、今、無料がひつこいぐらいに出てくるやつ。

 


そんな作りしてた。

 


一発で気分が冷めた。

「あー、この手のやつね。たぶん、さっきみたブログもこの商材へのアファリエイトブログだったのかもなー」と自分が興味を持ったことすら恥のように思えたのだ。

 


比較検討してないからなんとも言えないけど、フツーのページにしてるほうが反響あるんじゃね?なぜ、いかがわしさ満載にする必要があるんやろ?

本当はいい商材じゃないのか?(知らんけど)

 


これもモノローグだ。

 


こーいう手法のページしか作れないウェブデザイナーの人っていうのが実は山のようにいて、たいていはアフィ関連からウェブデザイン覚えたアフィカスで、アクセス稼ぐ裏技にはたけているがデザインとかは皆目素人な人たち。

 


伝えることと錯覚させたり騙したりすることの区別すらついていない人たち。

 


テクニックが仕事の本質だという思い込みから出られない牢獄の住人人たち。

 


そんな人が、こゆページをつくる。つか、こゆのしか作れない。

 


まえに某大手のショッピングサイトへの出店ページつくったことあるんだが、そのサイトのマニュアル(辞書ぐらいのページがあって、しかも3冊ある。さすがに今はpdfか動画になってるだろうけど)そこにがこの手のやり方がスタンダードとして書かれていたんで、頭がクラクラした。

 


この手のページがは「分母」を大きくすることで反響につなげるんで一時的には反響が出る。だから、クライアントは満足するんだろう。

 


が、これをワシは「未来からの前借り」と読んでいる。いつか返済が迫られるという意味でつけたワシ用語だ。

 


本来なら何年もかけての反響を瞬時に集めてしまう。けれど、そこで得られるものは可視化できるんだが、逃したものは可視化できていない。

 


仕事を永続性のあるものではなく、たんなる「シノギ=一時的に凌ぐもの」として捉えている人ならそれでも金が入るから構わないんだろう。

 


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ここ数十年で、この手の裸の王様マーケティングが増えてきたなーと感じていたが、もう最近ではいつのまにか王道となっている。

 


これらは皆、錯覚させる「たんなるテクニック」でしかないし、そもそもこの手の手法を広げている営業マニュアルが、この手法で広められている。

 


この手の人たちは、常にモノローグで、フィードバックというものが存在しない。フィールドバックはツッコミを入れることだと勘違いしているのだ。

 


フィードバックとは、反応のことで反応を「観察し、分析することで自ずと自分の次の行動か決まること」だ。いわばPDCAのことなんだが、それすらもわかっていないのは、自分で考えるということを放棄しているからだろう。

 


相手の反応をまったく見ない。そこにはその人すら気がついていない劣等感が腐って腐臭を発している。

 

 


※これってセンセという言葉に内包されているバグで、そのバグは教育という社会問題から発生したものだ。

 


ほとんどのコンサルは、「自分がゴールした者」としてふるまう傾向にあるのは、差を演出することで見込み客にヘルプミーという気持ちを持たせるための方便とも言える。

 


研究者や師匠と呼ばれる人はゴールなんか演出していなくて、常に世界を更新し続けている。だから、本当の意味での先生、先を行く人なのだ。