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西鶴アーカイブ

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【困った人に居場所を与える群れ…まだまだまだ続く庵野秀明ドキュメンタリー感想】

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いまから10年以上前。その頃ワシは誰でもが社会に組み入れられるシステムみたいなものを考えていた。

 

ある人にそのことを話したら「例えば寝たきりの人はどうすんの」と質問された。ワシは苦し紛れに「それぐらいの余裕は社会にあるべきだ」と答えた。


なんかのレポートで読んだんだが、群れをつくる生物には働いてない個体が1割だか2割は常にいるそうで、それはいわゆる予備要員ではないかと言われている。


そのレポートが頭にあったから、咄嗟にそう答えたのだ。


今回、庵野くんのドキュメンタリーを見て、組織とは居場所の無い人に居場所を与えるもんじゃなかろうかと、10年以上前のそんなやりとりを思い出した。


庵野くんの困った天才ぶり(※)は、前に書いたとおりだが、それでも周りの人はちゃんとフォローしてくれる。


※いちお言っておくがこれはあくまでワシのドキュメンタリー見た感想であり、推測だ。庵野くんが実際に困ったくんであるかどうかは会ってもいないので解らん。あくまでドキュメンタリーという編集された映像からのイメージだ。


それは「仕事だからしゃーない」という以上に、チームとしての固い絆のようなものが見える。


それを仲間意識だとか友情だとかいう能天気なワードを言うつもりはまったく無い。そんなものは思考停止させる危険ワードだ。


固い絆の正体は、映画を完成させるんだという目的意識だろう。情熱みたいなカッコいいもんじゃなく、「いや、これヤベーぞ」みたいな追われるような目的意識。


アニメなんていうのは究極の才能持ちよりの分業システムで、それなくては完成しえないものだ。(知らんけど)


だから、どんな個性も包括できる「固い絆」的な組織に意図せずとも成っているんだと思う。しかもアニメ制作の現場は特殊なので人の変えは効かない。(知らんけど)


有限な人的資源のなか、固い絆をつくりあげるしかないのだろう。


これがフツーの会社になると、派閥やら脚のひっぱりあいやら、押し付けやら、更迭やら、たちまちドロドロしたものが噴出してくる。


ワシの仕事も時々そういった乱流に乱されることがある。外部の人間であるワシにはコントロール不可能なことだ。いわゆる大人の事情である。


企画段階では大風呂敷を広げて、Goとなったときにできない問題をひとつづつ解決してゆくのが仕事の本質であるが、起きてもいない問題を気にするあまり、企画会議が「ダメだし会議」や、いかに「できないかを語る会議」になることもザラだ。


いやいや、時間との人の資源使ってあんたら何してんねん?


庵野くんの困ったとこは別に短所でも欠点でもない。たんなる特徴である。特徴とは他の人と違う個性のことだ。


個性は環境という変数によってプラス(長所)にもマイナス(短所)にもなる。


うちのワンコのウォーふが、「臆病」であるが「慎重」であるというのとおなじ。評価するものによって、あるいは環境によって180度見方は変わる。


庵野くんの困ったところは、間違いなくエヴァを制作する上での要だ。

もちろんそれが度を越せばいつまでも作品は日の目を見ることはない。

また、困ったところが組織の「固い絆」的なものを作り出してる。

でないといつまでも完成しない。


ワシはいつも組織をジグソーパズルのピースに例える。ひとつひとつが歪なピースが組み上がるから、多少揺らしても崩れないジグソーが完成する。

これが四角いピースだと、取り替えは効くが全体が強固になることはなく、すぐにバラバラになる。


個性という歪なピースは、全体にとって包括される。それが人の組織であって、個性のない四角いピースは、ロボットの組織だ。


もちろんこれも特徴に過ぎず、四角いピースを使うロボット組織は、工場生産方式に代表される「同じものを大量」につくるシステムだと、誰かが抜けても変わりがいるから稼働できる。


アニメ制作現場には変わりはなかなかいないし、大量生産するよりもクリエイトする現場だから個性の方が重要だというだけだ。