徹夜で読んだ本のブックレヴュー
ひさしぶりに一気読みした。
喉越しのよい文体。クセがなくするすると身体に入ってくる。
が、強烈な毒を持っていてそれがジワジワ効いてくる。
ネタバレになるから詳細は書かないけど、この小説を読んで人のつながりについて改めて考えた。
タイトルにある流浪という言葉は、ワシが中学のときに当時住んでいた廃屋の観光ホテルの裏山の木に彫刻刀で刻んだ文字だ。
この文字を刻んで、観光ホテルを後にして一人で暮らし始めた。
といっても観光ホテルでも一人で暮らしていたんだが、そこには野良犬の軍団やホテルに集まる幽霊たちが一緒にいてワシには家族みたいなものだった。
野良犬はともかく、幽霊が家族なんていうと頭がオカシイと思われそうなのであまり人に話したことも書いたこともないんだが(昔あるメーリングリストで書いた記憶はある。その1回だけだ)幽霊といえど慣れてしまえば家族になる。
裏山の木に刻んだ文字は、ワシにとって決意表明みたいなものだった。もうここから出ていくんだという決意表明。ガキっぽい発想だ。
この本を手にしたのもタイトルがあの時木に彫った文字と同じだったから。放浪とかの文字はよく見るけど流浪という文字はあまり見ない。
文字が「読め読め」とうるさく言ってくるような気がして作者の他の作品も知らないのに買ってしまった。
本屋は出会い系みたいなものだし、多種多様なやつが出入りしてるパーティ会場や宴会場みたいなもんだ。
本を読み進めながら、野良犬や幽霊たちをなぜワシは家族だと思ったんだろうということを考えていた。
世の中には多くの変えられない事実というのがあって、たとえば血のつながりであったり、やむおえず同じ屋根の下にくらしている関係であったり、職場の人や近隣の人やそういので溢れている。
それらは物理的なもので事実としてつながっているわけだが、この本のでてくる主人公たちはそういった物理的な事実ではつながっていなくて、本人たちの意志によって、つながっている。
それは野良犬や幽霊と同じなのだ。
このつながりは物理的な事実はないが、受け入れるというただひとつのことだけでつながる関係だ。
受け入れるには、自分に凹んだ部分がないと受け入れることができない。
これはジグソーパズルみたいなもんだ。互いに凹んだ部分をおぎなうことで一体となる。
四角いピースだといとも簡単に置き換えが効く。
が、しかしこの本の主人公たちは奇妙なことに互いに凹んだところでつながっている。どういうことかはネタバレ的になるので書かないが、それがこの本のテーマ、作者が描きたかったことなのだろう。
どうやらこの作者は長いことボーイズラブの小説を書いてきたらしい。
本を読んだあと、作者の略歴を読んでなるほどとおもった。
禁断の愛、社会に容認されない関係、物理的つながりを排除したかんけい、そんな中に主人公をほうりこむことで、作者はレリーフのようにつながりを浮き上がらせようとしているのだ。