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西鶴アーカイブ

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【悩むというのが一人称なら、考えるというのは複数の会話だとワシの背中の痛みが語った】

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あかん、ホンマ背中痛いわ。
 
毎年、この時期この「筋ちがえ」一回やる。
 
寒いときに急に身体動かすからこーなるんだが、喉元過ぎたら熱さ忘れるで、いっこうに反省しない。
 
腰の場合、コルセットでガチガチに固めてウォーキングしたら、徐々に元の場所に戻るという荒業でなんとかなるが、筋違えてるのはどーもならん。
 
んで、背中に気が行ってるんで、おかしなことをしでかす。
 
さっきも見積もり持っていってたら、知った人を見かけたんで、「あ、いまこちらの部署ですかー」って言ったんだが、考えたら「んあワケないやろ」なのだ。
 
人事移動の春と、年明けがワシの中でチャンポンされてたのだ。こんな時期に移動ってなんかやらかしたみたいやん。
 
まー失礼な話だが、済んだことなんでシャーない。
 
もー、今日は家でヌクヌクして過ごそう。つか、ほぼ毎日そうだけど。
 
んで、思ったんだが人との会話って、こういう行き違いや勘違いや、思い込みに支配されてることが多い。
 
今日のニュースピクスのリンクコメントでも書いたが、会社でなくてソロで仕事しているメリットとデメリットはここにあるんじゃなかろうか?
 
たとえば会議で意見を言うとき、相手の感情をおもんばって発言しないといけないから、自分の頭の中で会話を「清書」する必要がある。
 
「否定しないように、
 
いったんは認めて、
 
その問題点をあぶりだして、
 
一緒に考える寄り添いを見せて、
 
相手のココロがほぐれてきたタイミングで、
 
自分の意見や計画を提案する」
 
背中痛いとコレ無理!つい、思ったことを瞬時に口に出してる。
 
ところがソロで脳内で行う会話は、自分との会話なのでこの手の気づかいは無用だ。
 
だから、ソロブレインストーミングする時は、ネタに集中できて多様な仮想人格で討論もできる。
 
その脳内討論では、「朝ナマ」みたいな言葉の言い違いみたいなネタと関係ないようなケンカにはならない。
 
あー、それとちょっと話はズレるけど、脳内ソロ討論するとき、慣れてへん人は脳内の自分も他人のように労ったほうがいい。
 
基本的に人を動かすという方法論と自分を動かすという方法論に違いはないといのがワシの持論。
 
否定しない。
リスペクトする。
認める。
自分であってもイジメちゃいけない。
やる気にさせるんじゃなくて、その気にさせる。
 
これは他人であっても自分であっても、いや、自分だからこそ、やる気にさせるような会話を自分としたほうがいい。
 
自分は自分の上司であり、自分の先生なのだ。
「このダメダメなクソがー」っていう上司についていけるか?いけないだろ。同じことだ。
 
ここで自分との信頼関係が築けたら、自分で自分を嫌いにならないし、コントロールしようとも思わなくなる。
 
でないと激論できん。
 
西田さんは、「人は1日5000文字、(あれ、1万字だっけ?)の会話を誰かとせんとあかん」と言ってはばからない。
 
この数字の根拠は疑問だが、言ってることはわかる。
 
ワシの場合。
 
最近は、メールでの受発注や打ち合わせが多いから、昔ながらのアナログなやりとりは貴重で、結構そのほうが仕事の展開はある。
 
そこには、どーでもいい雑談というノリシロが存在するからだ。このノリシロこそ本当は重要なことは充分に承知している。
 
だが、ブレインストーミングとなると、雑談に主が移ってしまうことも多い。これは誰もが経験したことだと思う。
 
そのためにいろんな会議の方法が考案され、ホワイトボードミーティングとか、中にはサイレントミーティングとか言葉を交わさないミーティングの方法まである。
 
人は人とケンカしたくない。なるべき仲良くやっていきたい。これがデフォルトの思考なのだ。
 
だから、会議はジャム化し、結論は先延ばしになる。
 
脳内の会話はそれはない。
 
悩むというのが一人称なら、考えるというのは複数の会話だ。否定と肯定、その先に新しい認知が導き出される。