【西鶴、印を体感する】
この前「伝説の整体師」に言われた謎のマジナイを実践してみた。
これは右手の人差し指と中指をピッタリくっつけてウォーキングするというもの。
ワシの場合、左目が見えてないからなにか、脳の情報処理のバランスが崩れているらしい。
実際MRIでも右脳の血管はやたら細く樹状化しているし、左耳は計測値的にかなり遠くの蚊の羽音が聴こえるぐらいの地獄耳らしい。(ワシの左で悪口言うな)
それがこの謎のマジナイでバランスが改善されるらしいのだ。
その理由を詳しく聞くには時間がなかったんで、とりあえず持ち帰って実践してみるのだった。
理由がなくてもとにかくやってみる。わからないことは体験してみる。
これは犬から教わった態度だ。やってみてから理由は考えたらいい。これフィールドワークや取材の基本でもある。
「見てから考えよ、動いてから感じろ、聞いてから判断しろ(by西鶴)」
で、今朝このマジナイをしながら瞑想ウォーキングしてたらオモロいことにきがついた。マジナイしながら歩いていたら気がつけば左手のほうも同じような形になってた。
右手だけだとたしかにガッチャンガッチャンロボットのように脚から歩いてるのが、スーッと頭から吊るされているように歩けるのだが、気を許せば左手も同じようにしてまたガッチャンガッチャン歩いている。
これは、おそらくバランスが崩れているのが常態で、それが正されたことで違和感が生じているのだ。だからまたバランスを崩そうとする。
ちなみにデザインの思考で言うと、バランスが崩れることで動きが生じる。バランスが崩れているということは決して「良くない」ことではない。
問題は、どこのバランスを崩すかということだ。(と自分で理解している)
試しに、人差し指と中指ではなく、いろんな形で歩いてみた。
そしたら、指の形によって微妙にバランスが変化する。
具体的にいうと、(いや、返って抽象的だが)脳の情報か血流か何か分からんのだが、活性化する部位が違うようなのだ。
指のカタチで世界は万華鏡のように変化する。これはオモロい。
なんだろうこれは?さっぱりわからんが、指の動きというのは非常に複雑で直接的で、脳関係のリハビリでも指の動きは取り入れられているときいたことがある。
んで、思いだしたのがガキんちょの頃、寺で禅を教わっていた時に指でなんか印を結ぶとか言ってたような気がする。
「んなモンたんなる形式だろ」と思ってたんで無視ってたんだが、これは形式ではなくてなんらかの理由があるんじゃないかと思えてきた。
印といえば弥勒菩薩の像とかの指の形だ。これはインド医学のアーユルベーダに繋がるもので、系統的にはヨーガであり、整体でもある。
伝説の整体師はどこの系統とか言うのではなく、(あえて言うなら哲学系?)みたいだが、その人が書いた短い文章を見る限り、人体をパーツでみる医学から全体で見る中医学、流れで見るアーユルベーダへと変遷してきたようなので、これはアーユルベーダの系統なのは間違いなさそうだ。
もしかしたらその人それぞれの身体の状態に合わせて印のようなものがあり、それを意識することでコントール不可能な身体に接続できるのかもしれない。さらにそれに呼応する息の仕方からマントラが生まれたのかもしれない。
さすがに怪しいのか、このポーズで歩いていると誰も「おはようーバズーカ」を撃ってこない。こりゃ、いいわ。マントラ唱えていたらバリアとしては完璧だろう。
ただ、朝は場所によってミミズがアホほど出てきてるので、歩くというよりステップ踏んでる感じになる。皆、気にならないのか踏んづけている。
なんで?これもラジオを大音量でスピーカーから流しながら歩いている人と並んで、朝の不可解な光景の一つだ。
ちな4時台になるとミミズ以外は身体錬えるのが目的のガチ勢ばかりなので快適に歩けることに気がついた。
が、ここまで早起きになると逆に昼夜逆転である。