【覚悟するとは自覚すること~リハビリはじめますた ~】
ある人が「今年の夏はなにも思い出がない」と言った。
思い出とは、楽しいトピックス。どこかに出かけたとか、そういうものらしい。つまり、アルバムに貼る写真がないということなのだろう。
はて、とワシは考える。ワシの夏の思い出は何だろう?
今年の夏の思い出は、「キレ痔」一色だ。こんなにキレ痔がキツイとは思いもしなかった。夏休みどころじゃない。
最初、こーもんがピリピリしててもたいしたことないと、ヘーキで運動してた。ウォーキング、ランニング、懸垂で力こぶも大きくなった。
ビビりのワシのことだから、血でもでてたら違ったんだろうが、たんにキレ痔、ほっとけば治るだろうと甘く見てたのだ。
結果、痛くてどうにもならなくて医者に駆け込んでナースのおねちゃんの前でM字開脚ならぬ、M痔開脚して呆れられたのである。
ケツからカメラ入れられ、自分の腸の中をモニターで見せられるというSMプレイを強いられたのである。
なにしろ脂汗がでるほどいたくなるのだ。
そのたびにアスピリン(バファリンとかイヴ)をボリボリし、クスリをぬりぬりする。小学校のときに同級生に「ナナネンゴロシ」してたこことを思い出し、その因果を反省しながら。
くそッ!花火の音が今日はやけにケツに響きやがる。
そんな夏だった。忘れられない夏だった。
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思い出を振り返るとろくなものはない。楽しいことは、ぼんやりとしか憶えていない。けれど、辛いことはわりと鮮明に覚えている。
このことを前にいろんな人にきいたのだが、どうもワシだけではなく、多くの人が楽しい思い出と、辛い思い出には解像度に差があるようなのだった。
なぜなのか?
どうもこれは人のココロの仕組みにその謎の答えがあるらしいのだ。
楽しいことは満足することだ。満足はある種ゴールなので、そこに「次の経験のために回すテーマ」 はない。
ところが、辛いことは「次に似たような状況になったときに申し送りするテーマ」がたくさんある。
だから、辛いことのほうが記憶の解像度が高い。
ワシらが忘れないように、せっせと楽しいことのアルバムをつくるのは、無理矢理にでも記録しておかないと楽しいことはすぐに霧のようにあいまいになっていくからかもしれない。
(最近ではSNSとかにアップするからアルバムなんてつくらんだろうけど)
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今日、いつもの歯医者でそんな話になった。
この歯医者はいつもいろんな話題をふってくるのだが、こちらは口をいじられてるからロクに返事ができない。だから、一言二言で会話を続けるのに必死なんで、痛さを忘れる。たぶん、そういう先生の作戦だ。
歯医者がいうには、上手くいった治療のことよりも、上手くいかなかった治療の方が記憶に残ってるという。
ワシもこの歯医者にとって忘れられない患者の一人で、もう何十年も前だが麻酔が1ヶ月とれなかったことがあったのだ。
痛くないように細い針で麻酔したとき、針がふにゃふにゃと一番根元の神経を痺れさせた。
ワシ的にはぜんぜん構わないんだが、歯医者は毎回その話をする。トラウマレベルに記憶に残ってるらしい。ちなみにそんなことはワシだけだったらしい。念のため言っておくが技術力は結構高い。
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ビジネスではよくPDCAを回しなさいということが言われる。
plan(計画)、do(実行)、check(検証)、act(改善)の頭文字でPDCAなのだが、ようは計画を検証してその結果を次の計画に活かせれという、ごくあたりまえのことをいってる。
これは個人レベルだと誰もが生得的に無意識レベルで行ってることなのだが、組織となると意識してやらないとダメらしい。
このへんは「責任の在り方」とも関わってくるので、組織論とも繋がってくる。
「そんなん、あたまりえじゃーん」では片付かない問題なのだ。
最近ではさらにPDCAの欠点から、FFAとか、DGWAとか、OODAとか、いろんな考え方がいろいろある。ここでは詳しく書かんが、興味ある人はググれカス!もしくはワシを講師で呼べ。(ギャラは要相談)
しかし、なんで頭文字ばっかとるんだろうか?
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「2019年の夏、ワシはキレ痔だった。花火の音がケツに響くぜ!」
このことを、chackしてみる。
ちなみにchackしてactされた辛い思い出は、不思議と楽しい思い出のように解像度が低くなりヘタすると忘れてしまうという傾向にある。
たぶんこれは改善されたことで、問題は消失するからだろう。人の脳の容量は限られているのであまり必要のない記憶はどんどんアーカイヴされていく。
常にアクセス可能なSSDから、dvdやブルーレイにヤキヤキしてしまっておくみたいなもんだ。
いつまでも残る記憶は、「決着がまだ着いていないテーマ」なのだ。記憶は成仏させないといけない。
でないと♩頭がいっぱい!おっぱいでいっぱい、イヤーベィベー!明日のことが考えられねーぜ!ファック♩
キレ痔のテーマは、「こんなものたいしたことがない」と思い込んだことだ。なんかカッコ悪いというのもあったかもしれない。人様でこーもん晒すなんてという羞恥もあっただろう。
これは、いろんなことにも言える。
人はいつも最高の自分を基準にし、最悪の自分を忘れようとする。まさかワシが!そんなバカな!なにかの間違いだろう!そうやってネガティブな情報を極力シャットダウンして、chack が疎かになるのだ。
これは特に自己肯定感の罠だ。ポジティブシンキングの罠だ。
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ワシはビビる心を抑えて、キレ痔を検索しまくった。そこには恐ろしいことが書かれていた。キレ痔は、治りかけでまたキレるということがあり、それを繰り返すと慢性化するらしい。
慢性化すると傷口はキレないように硬質化する。これが腕とかだと皮膚が強くなったと都合がいいのかもしれないが、こーモンはいわばゴムのようでないとちょっとマズイ。
硬質化したら、外科手術で硬い部分を切除するか、指いれてマッサージしてやーらかくするなどの処置が必要になる。
指入れてモミモミ!まるでなにかのプレーじゃねーか!あかん!そこは!あ、ダメ!おーイェええ!べぇべぇー!
そこでワシはplan をねる。
ぬり薬は血行をよくし、ワセリンでゴムの硬質化を防ぐ。だからこれは痛い痛くないに関わらず、つねに塗っておこう。
それに食事だ。消化のよいものでは中途半端だ。便がやーらかくなる必要がある。少なくても完璧に治るまではその必要がある。
そこで導入したのがオールブランだ。これを1日2食の飯に置き換えた。オールブランにした分の栄養の偏りはヘンプシードで補完した。
そしてこのplanでDoする。ポジティブに考えるのはこのdoの部分だ。Actとplanに間違いはないと信じることで、Doのもちベーションは維持できる。
そしてワシはキレ痔を完治させたのだった。
問題がなければ、この記憶は解像度が低くなり思い出の奥深くへアーカイブされるだろう。
経験はスキルに置き換わり、エピソードは必要なくなる。記憶は成仏し、天国へとアーカイブされるのだ。