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西鶴アーカイブ

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あえて逆いくデザイン

f:id:hotkakogawa:20220718121646j:imageロバに蹄鉄はめたからといって馬になるわけではない


まあ、あんまし仕事のことは書かないんだけど、この前つくった子供のピアノ発表会のプログラムについて書かれていたのでネタの材料にしてドヤ顔してみる。


このプログラム、毎年つくってるんだが、コンセプトつーか、つくるときに心がけてるのは「大人っぽくつくること」。


「え?子供のピアノ発表会なのに大人っぽくつくるん?子供の発表会だから楽しく明るくつくらんとアカンでしょう!」と思う人は、よくデザインがわかってない。


ワシは、あえて「大人っぽく」、さらに言うなら「オフィシャルっぽく」もっと言うなら「権威的に」つくってる。


その試みは成功してるらしく、依頼主曰く「このプログラムにのると子供のテンションが違う」そうだ。


つまり、ワシはこの発表会にでたことで子供の記憶に自信の種みたいなものが埋まればいいなと考えてつくってる。


そこには、簡単とか楽しいとかそういう要素よりも、どこか「選ばれた」とか、「緊張」とか、「失敗したらどうしよう」とか、そんな感情がいると考える。


だから、あえて子供の心に寄り添うんじゃなくて、大人の都合でつくりましたー的なニュアンスをデザインしたわけ。


だから、子供にとってはあんまおもしろくもないプログラムなんだろうけど、その大人っぽさのあるプログラムに自分の名前が乗ることで、ちょっとした「社会への参加意識」が芽生える。


これが、生徒募集とかだとまた違ったものになるし、生徒やその親御さん向けの発表会ではなくて一般の人向けだと、「飛び出す絵本」みたいなのにしてるわ。(開いたら、ピアノから音符がびよよーんと飛び出すやつ)


つまり、カッケー!とか、クール!とか、おもしろみとか、そーんなもんは、たんなるコッチの都合でしかないし、寄り添うとは相手の気持ちをくみあげるだけではないんだということ。


最近は、アプリの使い方覚えたらデザイン屋を名乗れるわけだが、ロバに蹄鉄はめたからといって馬になるわけではないし、ロバが旅にでたからといって馬になってかえってくるわけではない。


こーゆー、こまかーいことを戦略的にする人ってあんまいないけど、あんまり細かい戦略すぎて依頼主が理解できないことがあるのが、最近の働き方「人とあわずにメールだけで完結する仕事」の欠点だ。


企業だと、あったこともない上司がでてきて、「いやー、子供のやつだから明るく楽しくのイメージでー」となって、派遣で伝言ゲームしてる担当は、こんなこと言われましたーとメールしてくるだけ。


説明するにも相手の顔が見えないんで、まあ、ええかと言われたとおりにする。よくねーよなーと、背徳感さえ覚える始末。


仕事は、なぜを5回くりかえせ!なぜこの色?なぜこのデザイン?なぜなぜなぜ?そこで答えがつまるなら、その仕事はテケトーに処理されている。