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西鶴アーカイブ

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煽り神に憑依される

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(2018/8/2)
 
ワシがガキの頃にあしげくかよっていた寺の坊主はある日こんなことを言った。
 
「瞑想中にな、仏さんがでてきてお前になんか智慧を授けたとするやろ。そんなときはその仏を槍でつきさせって昔から言われてるねん」
 
それを聞いたワシはなんてバチあたりなと思った。つか、口にだして言ったんだが。
 
「いや、ぼーず。それはばちあたりちゃう。そら、あーたがクソボーズなんは知ってるし、仏の前でエロイことして嫁に子供が授かったという話も聞いたけど、それはあんまりやわ」
 
ボーズは、ワシのツッコミは無視して話を続ける。
 
「お前は座禅のあと、いつも閃いたとか悟ったとか言ってるやん。それはな、お釈迦さんの手のひらの上いうことや。お前テレビ見いひんから西遊記知らんか。がんだーら、がんだーら♩」
 
ボーズはそういってテレビの続きを見に奥の部屋に戻っていった。
 
この話と同じことを聞いたのは皮肉なことにオームの信者の人。その人は、ちゃんとした師匠について瞑想をしないと魔境に落ちるという表現をした。
 
今なら、いやあーたの親方が魔境に落ちたやんとツッコムところだが、当時はまだそんな事件は起きていなかった。まあ、このへんは長い話になるからまた今度書く。
 
言いたいことは、宗派がちがうのに似たようなこと言ってるということ。
 
前にも書いたが、小学生のときになぜかワシの世話をよくしてくれた同級生のサル顔の女の子
ある日ワシに「調子こいたらアカンで」と言った
 
どういう状況でそんなこと言われたのかはまったく憶えていないんだが、たぶん家で母親か父親かにそんなことをその子は言われたんだろう。
 
彼女はワシの世話をやくというままごとをしていたんだろいうと思う。そんななかで、なにか説教のようなことをいいたくなったんだと思う。
まあ、たしかに「おちょけ」だったけどな。
 
しゃて、ワシはかようなことから、閃きや悟りを一旦楽しみ、仏とダンスをし、やがてそれらを手放す。てばなせば、たしかに手のひらの上だということがよーくわかる。
 
どんな箱でも無限に開くことができるし、どんな穴でもいくらでも掘ることができる。
サトルなんてことにゴールはないし悟ってるなんていう奴はどこか胡散臭い。
 
わかりきったような顔をしてゴールを決め込んだようなやつはダチュラ
 
ある人が、これを読んでみろとあるブログを教えてくれた。なんちゃら心理学とかいう名前をつけて文章をかいてる奴だ。
 
どうも講演会とか個人コンサルとかで飯をくってるらしい、最近はやりのファンビジネスとかの類だ
 
どーもね、すべてのエントリを読んだわけじゃないんだが、あるエントリではなんか完全に自分があがりを決め込んだような書きぶりで、なんか人を馬鹿にしてるかんじですごく不愉快だ。
 
しかも、内容は最近ベストセラーになった「サピエンス全史」の一部分を自分の言葉で書き直したもの。
 
ぱくったとは言わないが、「サピエンス全史にこんなこと書いてるけど、こゆことじゃね?」みたいな書き方ではなくて、さも自分が発見したような書きぶり。
 
で、冒頭に書いたようなことを思い出したわけよ。
 
たしかに、仏を突き刺せだわ。魔境に落ちるだわ。
 
なぜ、人は神さんやら王様やらになってしまうんだろ?
寄り添うことができずに、また議論して世界を拡張することもせずに、自分の世界だけを押し付けてくるんだろうか?
 
エントリの記事のコメントにはファンの人がすごーいとか書いてる。
 
どーもまだ若い奴みたいだが、この手の勘違いはかなーり尾をひくことになる。
 
こゆのを「煽り神に憑依される」と言う。
 
魔境におちないようにと思うが、他人を巻き込んでる時点でもう引き返すことはできんだろうなぁ。縁というのは因縁とか言うからふくづいbかえらずなのだ。
 
まーワシの知ったことではないんだが。
 
※なんで煽り神に憑依されるかは、今度書きますにょ