【犬たちのルール】
病院いったお駄賃として西田さんに買ってもらったパンの耳を食べる。
パンの耳は昔から好物だ。ラスクにしたり、卵と牛乳でフレンチトーストにしたりするのが一般的だが、ワシはトースターでチンしてそのまま食べる。
これならワンコと分けあえるからだ。ワシがパンの耳をかじる。その前にワンコたちがズラリとならぶ。この時ばかりは、けいちゃんもちゃんと並ぶ。
全員の目はワシの手元に集中している。手を右にやれば皆が右を向き、左にやれば左を向く。
早く動かせば、バイクレースみている観客になる。左右に動かせばテニスみている観客だ。
そんなたわいもない時間が持てるから、パンの耳はそのままチンして食べるのがいつのまにか習慣になっていた。
ひとりになった今でもその習慣はいっこうに変わらない。
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パンの耳をかじりながら、犬と人の関係の歴史について考える。
犬はずっと昔から、こうやって人と暮らしてきたのだ。
野生を生き抜く身体を持ち、人間なんてあっというまに倒して食い物を奪えるのに、お行儀よく並んでワシがパンの耳をくれるのを待っている。
奪おうと思えば瞬時に奪えるのにそうはしないし、考えもしない。
なぜかといえば、奪えば「次」がないからだ。それを太古の昔から現代まで血で伝えてきた。
犬は人と協力することを前提に生きている。
だから、ワシも裏切らない。協力には協力でかえす。そこには「イイ関係」しか生まれない。まるで囚人のジレンマの実験みたいだ。
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群のルールは個人に宿る。その群で暮らすことで、その群のやり方が個人のやり方になり、その個人が群れをつくるときに群のルールが次の世代へと移ってゆく。
それが血で伝えるということだ。つまり文化だ。
文化はやがて遺伝子レベルまで到達し固定化される。(その時間は意外と短く5世代ぐらいだと思うが、3世代で充分だという研究もある。人間だと3世代は可視化できる)
ワシは犬の群れと暮らすうちにいつしかこの協力関係というルールをインストールされたんだと思う。
人の場合、それは仕事で顕著に現れる。仕事の相手は客ではあるが、どちらかというとチームに近いと思っている。
最近でこそ要件定義をきっちりするが、それまでは何をどこまでするのかさえ曖昧だった。つい余分なことも引き受ける。
その曖昧さ回避のために要件定義を決めるようになったんだが、ほんとはこの曖昧さも重要なんだとどこかで思っているところもある。
損だとも思わない。相手がそれを「わかっていれば」それでいい。
協力関係、そこからワシは歩を進める。
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が、それが囚人のジレンマでいうところの裏切りで終わることも多い。
裏切りの理由は様々だが、その大半はお金がらみということが多い。知り合いが安くでしてくれる、もしくはタダでしてくれるいう、絶対的な言い訳がでてくる。
それはしたないねとワシは次に行く。囚人のジレンマのような裏切りとさえ思わない。そんなものだというのは、子供の頃から知り尽くしていることだ。
ワシもそうだが、相手も金で生きている。金さえあれば、ひとりで生きていける。金は関係の代わりになる。これは事実だ。金があれば公園で寝起きしていてもホームレスではなく、野宿趣味になる。
関係よりも金が優先順位の上位に位置するのはそのためだ。金は裏切りの動機である。
だから、これはその個人が悪い奴だというわけではない。
群れのルールは個人に宿るからだ。そういう群れで生きてきて、その人たちはそうゆうルールを次の世代へ伝えていく。ただそれだけなのだ。
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よくスピ系セミナーでは「お金持ちになるにはお金持ちと付き合いなさい」と言われる。誰もが口にする鉄板のセリフだが、この理由を明確に説明できる人には出会ったことがない。
コピーペーストが彼らの本質で、自ら考えることがないからなんだろう。
「お金持ちになるにがお金持ちのー」の理由は、群のルールが個人に宿るからだ。お金持ちのやり方がいつのまにかインストールされるんだろう。
これをワシは多少嫌味を込めて「憑依される」と言っている。
これは、よほどの特異点を持つ人以外は誰もが憑依される、避けようがない現象でもある。
あるていど年をいけばこの現象は経験値としてわかってくる。
よく親が、「つきあう人をかんがえなさいよ」と言ってたのがこれだ。
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群のルールが金を稼ぐというゲームなら、金を稼ぐことが優先順位の最上位になる。
群のルールが権威を手に入れるゲームなら、権威を手に入れることが優先順位の上位になる。
群のルールが力による支配というゲームなら、力を手に入れることが優先順位の上位になる。
群のルールが快感を得るというゲームなら、快感を得ることが優先順位の上位になる。
SNSのルール、ユーチューバーのルール、ビジネス芸人のルール、族のルール、ヤクザのルール、いろんなルールがある。
ワシの場合、いろんなこれらの群のルールを憑依してきたり、群を作ったりしたが、一番心安らかに暮らせたのが犬たちのルールだった。