アウトプットを上回るインプットは控えてた。
憑依されるから。(※)
自分の考えではないのに、自分の考えのように勘違いしてしまうことをワシは憑依されたと言ってる。
ところが、今年になってから限界量を超えるぐらい本読んでる。本代が食費超えてる。
でちょっと自重しようとしたんだが、次々と読まないといけない本がでてくる。何かに命令されてるように。
不思議と憑依はない。
たぶん、一行読んでは考え、また一行読んでは立ち止まりしているからだろう。だから憑依されようがない。
その分、なかなか読み終わらない。宿題がどんどん積みあがってゆく。
もー開き直ってこゆ時期があってもえーやんと思うことにした。
思うに、憑依というのは立ち止まらないから起きるんじゃなかろうか?
疑問に思うことや、違和感を感じることがあっても、とりあえず横に置いておいて先に進む。
スピードをあげた車の窓からはろくに風景が見えないみたいなもんで、自分の位置がわからなくなるんじゃなかろうか?
一時期オーディブルで何倍速で本を聞いていた。
犬と暮らしていた頃だ。とにかく時間がなかったからだ。
2倍速、4倍速できくと、たしかに思考のスピードはビックリするぐらいに上がる。
誰かと喋っていてもイライラするぐあいにまで加速されるのであえて倍速ぐらいに落とさなければならなかった。
けど、それでは道端に咲く花に気がつかない。道端の花に気がつくスピードが本との対話なのだろう。
詰め込むことは憑依だ。コピーペーストだ。それは自分ではない。
※インプットされる情報は編集されていない生モノと編集されたモノの2種類がある。風景、食事など自分の体感とともに入ってくるのが生モノ。本やテレビ、人との会話は編集されたもの。
編集されたモノで頭がいっぱいになると、頭がおかしくなる。自分の考えがどこにもないということになる。
編集された情報は、ファストフードと同じだ。自分の身体を上回るカロリーを持つ。贅肉のように自分ではない考えが頭に溜まっていく。
食事の例で例えたらアウトプットは運動と言える。
編集された情報がこれほど大量に流れこむことは人類史上MAXなんじゃないか?しかもアウトプットすることは最小なんじゃないか?
注意して世の中の情報を眺めてみたら、どれもこれもがコピーペーストだと気がつく。自分の頭の中からでてきているものはごく少数だ。
世界はコピペ。伝言ゲームである。