turuya

西鶴アーカイブ

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アカシアの影

f:id:hotkakogawa:20180327205349j:plain(2015/11/7)
小学校の3年生の時かなぁ。変な遊びが流行ったことがある。流行ったといっても1週間ほど。

ある日、授業が終わって帰ろうとしたら、校庭で何人かの人が案山子みたいに両手をあげて突っ立ってる。ある一定の間隔で突っ立っていて、5~6人だったかなぁ、それはなんか不思議な光景だった。

なにしてんの?と声をかけたら、「ちょこべえ」を動かしてるという返事が反ってきた。

どうやら、ちょこべえというお菓子があってそのテレビコマーシャルが、自分の影がぐんぐん大きくなっていって「ちょ、ちょこべぇ~」と妖怪みたいな声を出すというものらしい。

ワシは全然憶えていないんだが、どうやらこのコマーシャルに尾ひれがついて、自分の影をじっと見つめて精神を集中させると影が勝手に動き出し、その影は自分の分身で常に自分を助けてくれるのだという噂が広まったらしかった。

ワシはそれを聞いて、すごーくアホくさくなって、そそくさと家に帰ったのだが、なぜかこの時のことはずーっと頭から離れない。

なんでそんな子どものたわいもない遊びが頭から離れないかというと、この時同級生たちとの間に大きな溝が感じられたからだ。

この頃には、もう小学館の「小学〇年生」でドラえもんの漫画が始まっていたのだが、実はこの漫画もワシはいつも違和感をもって読んでいた。ちょこべえ遊びに感じた違和感は、ドラえもんを読んだときの違和感と同じものだった。

ポケットから未来ガジェットを取り出し、それでなんでも叶えてくれる。そんな夢物語と自分の影がいうことをなんでも聞いてくれるという夢物語の共通点。
 
大げさにいうと、外部の力で自分をなんとかしてもらおうという気持ち。そこが違和感の原因であり、たまらなくワシをいらつかせた。

たぶん、その頃のワシはそんな外部の力を、この校庭でちょこべぇ遊びをしている誰よりも欲していたのだ。
 
けれど、そんなことは夢物語であることをいやというほど思い知らされていた。だから強烈に反発し、同級生との見えない溝を感じたんだと思う。

状況を変えるのは自分しかいない。だから早く大人になりたかったし、子どもというカテゴリーを1日でも早く脱出したかった。そのためには、ただひたすら時間が積み上がるのを待つしかなかった。

やがて時間は堆積し、ワシは大人のカテゴリーに入った。なんでも自分の意思で好きなことをし、好きな所に住み、好きな時間を過ごせる。そう思ったのがなかなかうまくはいかない。自分を縛る子どもという時間が過ぎ去ったのにこれはどういうことだ?

そんな時に、このちょこべえの光景が頭にでてきた。

ああ、ワシは影を動かそうとしていたんだと突然気がついた。あの校庭の同級生たちと同じだ。影を動かそうといくら念じても無理だ。動かすのは本体のほう。本体を動かせば影は自然とついてくる。

なぜ、そう思ったのかはよく解らないが、ピンと来た。

さらにあれから数十年。今では、本体を「本質」とか「アカシック」とか「アガスティア」とワシは呼び、影を「現実」とか「リアル」とか呼んでいる。で、自分でそう思うどころか、人にまでその理をといてまわってる。

沈む太陽が自分の影をながくながく見せるあの夕方。あの頃にワシは夢とか叶えるとかを手放したのだと思う。


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