【約束の地】
チンポーンとチャイムが鳴ったんで出てみたら、知らんおねーちゃんとオバちゃんが立ってた。
聖書についてお話しして回ってるんだという。
だいたいこの手のパターンは、いつも美人のわかいおねちゃんが後ろで控えていて、おばちゃんがメインで話しかけてくる。
この戦陣は誰が考えだしたんだろうか?
出発するときに教会でこのペアをいつも選ぶんだろうか?
それはマニュアルになってるんだろうか?
またこの人達はまったくのボランティアでやってるんだろうか?
それとも協会から一人連れてくるといくらとかのギャラが出てるんだろうか?
寒い中をてくて歩いて聖書のお話を一軒づつチャイムを鳴らして、たぶん聴いてくれる人は僅かだと思うが、何時間か、あるいは1日チャイムを押しまくるんだろう。
そうまでしての動機は何なんだろうか?
いつも、ご苦労様ですとか言いながらも、何か用事がありそうなフリをして断るんだが、ポストには小冊子が入れられている。
読んでみたりもするんだが、どうもシックリこない。
けど、あの人たちはそんな聖書のお話をするために、てくてく歩いている。
ちょっと、一人一人に個別で面談して聖書のお話ではなくて、あなたのお話を聞かせて欲しいと思う。
なぜ、いつから、どうして、そんなお話をだ。
人は物語を作り出す生き物だ。
それは時々記憶の改ざんまでやらかして、自分の物語をつくりだす。
正確に言うと「自分にとって都合のいい物語」だ。
そんな人の作り出す物語には原型というものがあって、そのアーキタイプが聖書だったり、神話だったりする。
人はまちがいなく生物なわけで、その進化の過程で言葉を発明し、その言葉によって物語を発明したんだろうが、この物語の発明と同時に立ち上がってきたのが主人公という概念だ。
「私の物語」という概念は、痛みも苦しみも悲しみも辛さも、寒いも暑いも、全てを因というものに押し込める効果を持つ。
それらはやがて未来において、結実するのだという「都合のいい物語」だ。
現世でその結実が叶わなくても、来世がある。あるいは天国がある。
あの世があると、人は信じて疑わない。
が、これはまるで「アリとキリギリス」のアーキタイプの物語だ。その結実を担保するのが神さまなのか?
チャイムを100回押したら、光が天から差し込みファンファーレが鳴ってレベルアップする。そんな保証はどこにもない。
人が金に求めるのが、このレベルアップのような可視化だ。
一円玉を100個集めれば100円になる。これは、日本という国が保証しているルールだ。
このルールの導入によって、人は痛みも苦しみも悲しみも辛さも、寒いも暑いも、全てを金に押し込めることに成功する。
だが、それすらもやはり「都合のいい物語」であることかたは抜け出せていない。