turuya

西鶴アーカイブ

いろんなところに書いてきた文章のアーカイブ

ハレルヤ!

f:id:hotkakogawa:20180703185031j:plain

(2015/11/8)
 
某キリスト系の宗教団体のおばちゃんが、月に1回冊子を持ってくる。
 
玄関にで2分ほど話すだけ。特にひつこい勧誘もなく、聖書の言葉をひとつだけ語って帰る。もーここに引っ越してきてからなんで5年以上になる。
 
前までは文字が小さいので見えにくいーといいながらポケットサイズの聖書をひっぱりだしてきて、「神はこのように言っておられます」ってやってたのが、この前はタブレットだった。
 
文字が大きくできるから便利なのよねーと笑っていた。
 
こーゆーのを受け入れてるのはワシにしては珍しい。
 
この人わざわざワシのところだけに同僚?の人に車をだしてもらってまで届けにくる。最初は、ローラーつーの?一軒一軒回るやつで来た。
 
追い返すわけでもなく、また興味があるふうにでもなく接したのには特に意味はない。たまたま、そーなっただけ。
 
それからの付き合い。とても浅いつきあい。名前も知らないし、どこに住んでるかも、どこの教会かも、なーんにも知らない。
 
一時、別の人がきてて、ナントカさんは入院したんで私が届けにきましたと冊子を持ってきていた。
 
その後、退院したらしく、車で誰かに乗せてもらって来るようになった。
 
ワシはどこが悪くて入院したのかも聞かないし、治ったのかも聞かない。
 
うちの事務所の前には、謎のコックさんの人形が置いてあって、そこに看板が取り付けてあるんだが、一見さんの客が来てもややこしーので非常にわかりにくい看板になってる。
 
何屋かさっぱりわからん。その看板を見て、この人は初めてワシの職業について尋ねた。
 
「ああ、デザイン屋なんですよ」
「というと、オリンピックのデザインに応募とかするようなお仕事ですね」
「まあ応募はしませんけどね」
 
なんとなく勘違いしてるようだけど、まあいいや。
 
この人はその後はいつものように聖書の言葉を続ける。
 
「戦争に正義はあると思いますか」
「いや、ないんじゃないかな」
「神はハルマゲドンについてこう語っています」
 
ワシはいつものような持論を展開しない。反論もしない。
ただ、聖書の言葉を受け入れる。
 
「また、興味があればよんでみてください」と冊子を渡さ
れる。
「ありがとうございます」
 
これで終わり。短い時間だが、なぜか穏やかな感じだ。祝福されたような風が吹く。ハレルヤ!
 
冊子はパラパラと読んでゴミ箱に行く。小さな罪悪感と一緒にゴミ箱に行く。その時、ふとこの人はなぜ冊子を毎回持って来るんだろうと思いが走る。
 
それが布教だから?なにか教えを説いて回る?
しかし、特にミサとかに誘われたこともない。
 
ただそこには可能性というものだけがフワフワと漂っている。
きっとこの確定しない可能性というものが、この人の…教団ではなくこの人自身の宗教なのだろう。
 
確定しない未来。決めつけない未来。否定でも肯定でもないそのフワフワした可能性。それはまさしく祝福でありハレルヤなのだと思う。
 
そしてまたこの人は来るんだろう。意識の周縁、かろうじてひっかかるその場所から。
 
 
| Style : Background1, Font0, Size16 |