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西鶴アーカイブ

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【シェアと公共とサービスの違い】

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最近、「シェア」という言葉がようやく一般的になってきたと思う。
 
が、逆にシェアが「新しい概念」「新しいシステム」だと勘違いされていることも多いようなのだ。
 
シェアとは、簡単に言うと「共有する」ということ。これは新しい考えというよりも、かなり昔の考え、というか昔はシェアのほうが当たり前で、個人所有するほうが珍しかった。
 
特に日本はそうだ。
 
水は未だにシェアしているが、水道管の端末は家の中に引き込まれて個人所有している。昔は、井戸でシェアしていて、そこで洗い物をしながら、世間話をしていたので井戸端会議が生まれた。
 
皆んなの役にたつものを、皆んなで作ったり購入したりするというのは、社会そのものの原理だ。
 
人類がまだ穴ぐらを住処にしていた時代は、個人所有なんてものはなくて、皆があらゆるモノやコトを共有していた。それが当たり前だった。
 
共有が「公共」に進化したのは、管理のシステムからだ。
 
皆んなのものをメンテナンスしたりする専門の役割が必要になってきた。それが公共だ。
 
公共はやがて川に橋をかけようなどの公共事業など積極的に皆んなが使えるものを作り出す。費用は割り勘。つまり税金。
 
で、それが今度は「サービス」になってくる。
 
これは皆んなでというよりも個人所有のものをお金で貸し出そうという考えだ。私鉄なんかがそうだわな。
 
もちろん個人所有するには金額がデカイから投資家を募って株式にするけど、考え方は個人所有のものを使わせてあげるから、費用くれと同じことだ。
 
共有と公共とサービス、最近ではこのへんの区別が非常にあいまいになってきたし、この違いを理解できない人も多い。
 
これはワシの思い違いかもしれないが、どうもある一定の世代は世の中の全ては「サービス」だと勘違いしているんじゃないかと思えようなところがある。
 
この勘違いは、受ける側だけではなくて、管理する側にもある。
公共なのにサービスだという勘違い。
共有なのにサービスだという勘違い。
やってることはサービスなのに、公共のフリをしているケース。
共有がいつのまにかサービスになっているケース。
もー、むちゃくちゃだ。
 
そんな中、シェアリングサービスなる言葉もでてきて混乱はさらに増す。
 
ちなみ、シェアリングサービスは、個人所有のものを共有するためのメディアのしくみのことだ。つまりは仲介することで手数料をいただくのがこのサービスのしくみだ。
 
その性質からITと非常に相性がいいのだが、実はこれは政治の役割の一部でもあるが、そんなこと考える議員なんて一人もいない。あいつらは、頭がアレなんで、ここに書いてる区別すらついていない。
 
ワシが仕事じゃないことでやってることや、やってきたことは基本的には共有だ。みんなで割り勘でバーベキューしようよのノリと対して変わらん。プリンタ値段高いから割り勘で買おうよーとか、事務所皆で借りようよとか、そんな単純なものだ。
 
それをITを使ってやらないのは、あくまでこれはシェアリングエコノミーということであって、シェアリングサービスにしようと思わないからだ。