助け合いは足の引っ張り合いなのだ。前に書いた続き
上を向いて歩こうなんていう歌が流行ったのが1961年から。
1961年は昭和36年。ワシは昭和37年に生まれたんで、オギャーといったときにはこの曲が病院中で流れていたわけやね。
この頃は、日本中が勢いがあって高度成長つーの?戦争で焼け野原のなった土地にビルがたち、道路が走り、日本はアメリカに追いつき追い越せとばかりに経済的に成長していた。そんな時代。
だから、上を向いて歩こうなのだ。涙がこぼれないようになのだ。
涙がこぼれないように上を向いて、上を目指して歩いていけば、きっとワシらは金持ちになって、好きなものも手に入れられるし、好きなことをやれる。モーレツに働いて、モーレツに稼ごう。そんな応援歌だったんだろう。
さて、これはつまり希望の歌である。実はこの頃から、政治というものの形が変化したんじゃないかとワシは思っている。
まあ、この変はどかの歴史学者さんか、社会学者さんが検証してくれたらワシとしては助かるんだが、上を向いて歩こう以前は、図のように政治とか国の上に資本主義が乗っかってた。
そらそうだ。地盤がないと上になにも乗らない。
人がいなければ国もなくなる。土地がなくなれば国もなくなる。
だから、戦時中は「お国のために」と皆、死んでいった。
が、負けて日本はアメリカみたいになった。GHQが映画館つくってアメリカみたいな生活を宣伝しまくった。
つまり大きな冷蔵庫とテレビジョン、家族がのれる大きな車と、青い芝生とワンコといいっしょにベットでねる生活が、「上」なのだ。その上にむかって歩こう。
そして図のような反転が起きた。
政治とか国とかの成り立ちは、「助けあい」で助け合う小さな群がそのルーツだ。個人の弱みを補うというシステムともいえる。
一人を助けるのには一人じゃ無理だ。なら3人ならどうだ。1人の負担は1/3になるじゃないか。そうやって群はどんどん大きくなって国なった。
資本主義は、助け合いではなくて逆に弱みを見せてはいけないのがルールだ。足が1本しかない?それじゃお前は獲物をとることができないじゃないか。お前に投資するより五体満足な奴に投資するわ。
それによって大きくなった会社は、国ような機能も持つようになる。会社の内部の病院、それは健康であれば会社に貢献できるからだ。会社内部の福利厚生。休みもレジャーも仕事の効率をあげるためのものだ。
そして会社は、どんどん大きくなる。
つまり、今の政治やら国っていうのは、会社なわけよ。
ワシらの国や政治は、いつのまにか会社のルールで動いていた。
だから、病気のやつや、引きこもってるいるやつや、寝たきり老人や、そういう「弱いやつ」は生きていけない。クビ、もしくは窓際。
そういうことだ。だから、自己啓発やら、スキルアップやら、そんなことを皆追いかけている。だから、常に不安がつきまとう。まだ起きてもいない未来に不安を持つ。
そら、寝たきりになったら株式会社日本からクビを言い渡される。
だれも助けてくれない。
助け合いは、今や足のひっぱりあいだからだ。
法律とおって安楽死させられるほうがましかもしれない。
つまり、今の時代の不安なんてものは、上を向いて歩いてきたからつくられたものなんじゃないか?