turuya

西鶴アーカイブ

いろんなところに書いてきた文章のアーカイブ

私の数値化

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2015/3/17)
 
某所に納品にいったら、プリンタが動かないとバタバタしてて、どれどれということで見てみたら、どーもUSBのケーブルが怪しそうで、他のやつに変えたら無事に動いた。

お礼に御菓子をもらって、子供のようにそれをほおばりながらこの文章を書いてるわけだが、昔はこーいったことはフツーに行われていたと思うが、最近ではマレなことだ。

関係者以外が、パソコンをいじくることがマレだし、また事務所のそんな深部にまで侵入することがマレだ。

これは、信頼されてるとか、されていないとかの問題ではなくて、誰であろうがダメという掟みたいなものだ。

たかじんの笑い話で、こんなのがある。
たかじんが銀行で金を下ろそうとしたら、カードがなんかの都合でおかしくなっていて、支店長がでてきて「やあ、たかじんさん どうされました」と聞くんで、これこれでと事情を説明したら、じゃお金を出してくるので身分を証明するものを出してくださいといわれたそうだ。

つまり、例外などありえないという話で、たとえ親であろうが身分を書類として証明できないことにはダメなものはダメという。今時の信頼とは、書類であると言い換えてもいい。

ここに流れる考えは、「何かあったらどうする」「誰が責任をとる」ということで、そのもっと深い根底には「人は悪人である」というのがある。

もちろん、それに異論をいう気はない。まっとうな考えだと思う。
セキュリティとは、イタチごっこで、ありえないようなことまで想定して事前に対策をとるのが原則だそうで、支店長がたかじんだと思っている人は、ルパンが変装しているかもしれないということも考えられるということだ。

しかし、人というのは基本的に数値化や書類化はできない。サイバーパンク系のSFでは人は限りなく書類化数値化されているが、そのための科学技術はまだまだ先の話だろうし、そういったSFでも物語は書類化数値化できない人の部分が核となっているのがほとんどだったりする。

なーんとなーく、居心地がわるーい感じ。大げさにいうと、生きづらーい感じ。
それってこの書類化数値化される「私」と、数値化できない「私」の接続点の接触不良にあるんじゃないかと思ってる。

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